2021年5月14日金曜日

2021年5月9日

 2021年5月9日 復活節第6主日礼拝説教要旨

    「あなたの良き業を神さまが見ていてくださる」 小笠原純牧師

     マタイによる福音書 6:1ー15節

 18世紀のイギリスの詩人のウィリアム・ブレイクの詩に「小さな放浪者」というのがあります。その詩の最初は、「お母さん、お母さん、教会は寒い でもビヤホールは健全で、気持ちがよくて暖かい それに、ここならぼくも歓迎してもらえると言える 天国でもこんなに歓迎されるとは思えない」です。昔の教会はきびしくて、なかなかこどもに居心地の悪いところであったようです。「天国でもこんなに歓迎されるとは思えない」と言われるような教会でありたいと思いました。

 わたしは礼拝のときに、いつも「御国が来ますように」とお祈りしますが、やっぱり神さまが望まれるような世の中になってほしいと思います。そして自分はろくでもない心をもった者であるけれども、少しでも神さまから喜んでいただけるような歩みでありたいと思います。

 そうしたことを思う時、今日の聖書の箇所は「ああ、そうすればいいんだ」と思わされる聖書の箇所です。イエスさまは良いことをするときは、隠れてしなさいと言われました。良いことをしているのを知らせてしまうと、この世の人たちから報いを受けたことになるので、神さまから報いを受けることがなくなってしまう。また、イエスさまは施しをするときだけでなく、お祈りをするときも、隠れてしなさいと言われました。

 イエスさまは「隠れたことをみておられる父が、あなたに報いてくださる」と言われます。「ギブ・アンド・テイク」というように、したことに対して相応のものが返ってくるのを前提にして、私たちの社会は成り立っています。ただ「これしたら、どうなる」という問いばかりの世界では、ちょっとさみしいと思います。しかし同時に、この「むくいを望まで 人に与えよ」(讃美歌21−566番)というのは、わたしのもっとも不得意とするところだなあと思わされます。

 イエスさまは言われます。大切なのは、神さまが喜ばれることをするということなのだ。その業を人が見ているとか、人が評価してくれるとかではない。あなたたちの良き業を、神さまはしっかりと見ていてくださり、かならずあなたを祝福してくださる。どんなに小さな業であっても、神さまはあなたを祝福してくださる。

 神様に向かって、良き思いをもって、小さな良き業に励みたいと思います。神さまは私たちの小さな小さなわざを祝福してくださり、そして私たちの世界を良きものへと導いてくださいます。


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