2021年8月15日 聖霊降臨節第13主日礼拝説教要旨
「兄弟姉妹そして母」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 12:43ー50節
歌舞伎役者の世界は血縁で代々受け継いでいくということが多いですが、落語の世界は違います。落語家の親が落語家であるというわけではありません。桂ざこばは桂枝雀のことを「枝雀にいちゃん」と言いました。落語という志のなかの兄弟であるわけです。
最近は、LGBTQというように、性的少数者(セクシャルマイノリティ)の主張がとりあげられるようになりました。レズビアン(女性の同性愛者)、ゲイ(男性の同性愛者)、バイセクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー(「身体の性」と「心の性」が一致しないために「身体の性」に違和感を持つ人)というたちの生きづらさが語られます。そういうこともありますので、「兄弟姉妹」という言い方が、ふさわしいのかとか、男女にわけて名前を記すのが適当であるのかというような問いかけもなされます。ただ信仰の交わりとして、血縁の家族ではない家族のような交わりとして、教会は兄弟姉妹という関係を大切にしてきました。
「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」。イエスさまの言葉はイエスさまの家族にとっては打ちのめされるような言葉だと思います。しかしこの言葉を聞いて、とても喜んだ人々もいたわけです。それは「わたしには家族がない」と思っていた人たちでした。「わたしには家族がない」というさみしくせつない思いをもっている人たちに、イエスさまは「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と言われました。教会の中で、「この人、わたしの弟」「この人、わたしの妹」と思う人を覚えて、いつも弟のこと、妹のことを覚えて、自分の祈りに加えるということは、とても大切なことだと思います。
私たちはイエスさまの教えに、そのときは「そうだなあ」と思いつつも、すぐに汚れた霊が住み込んでしまうようなこころの弱さを持っています。七つの悪い霊が住み込んでしまっているのではないかと思えるようなときがあります。そんな私たちですけれども、しかしイエスさまは私たちの家族となってくださいました。私たちは神さまの愛に満ちた世界を願い求める家族です。敬愛する兄弟姉妹に囲まれて、神さまを慕い求めて歩んでいきましょう。
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