2021年8月1日 聖霊降臨節第11主日礼拝説教要旨
「神さまの平和を届ける人に」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 9:35-10:15節
ヒトラーのような人をどうしてドイツの人びとは支持したのかと思いますが、そのことについてはキリスト教が果たした役割というのは小さくはないようです。【なぜ人びとは反発しなかったのか。そのひとつの答えは、国民の大半がヒトラーの息をのむ政治弾圧に当惑しながらも、「非常時に多少の自由が制限されるのはやむを得ない」とあきらめ、事態を容認するか、それから目をそらしたからである。・・・。いまひとつは、プロテスタントとカトリックの両キリスト教会が、それぞれの宗教指導者の態度表明を通して、ヒトラーーへの支持を訴えたことである。プロテスタント教会の有力者、オット・ディベリウス主教は「ポツダムの日」に際してプロテスタント派国会議員のためにニコライ教会(ポツダム)でミサを行い、そこでヒトラーを民族の指導者として讚えた。一方、カトリック教会では、フルダ司教会議による「カトリック司教の声明」が、ヒトラーを頑なに忌避する信者の態度を変えさせた】(P.170)(石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』、講談社現代新書)。やっぱり宗教者がいいかげんなことをしていてはいけないのだと思わされました。
「十二人を派遣する」という表題のついた聖書の箇所には、イエスさまが十二弟子たちに対して、宣教・伝道する際の細かい注意事項が記されてあります。いろいろと大切なことがあるわけですが、イエスさまは、家を訪ねて、その家に神さまの平和を届けるということが、弟子たちに託されたことだと言っておられます。【その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる】。
戦後、76年を経て、「ナチス・ドイツも良いことをした」というふうに言い出す人々がいます。「戦争中の日本も良いことをした」と言い出す人々が出てきます。私たちはコツコツとそうした誤ったことを言い出す人たちに対して、「それはおかしなことだよ」と、伝えていきたいと思います。
神さまの平和はすべての人々にとっての平和です。力によってもたらされる平和ではありません。国は自分たちの国にとって都合の良い平和を作り出そうとします。しかし神さまの正しさがあふれている平和でなければなりません。私たちは神さまの平和を届けていく者でありたいと思います。
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