2021年8月22日 聖霊降臨節第14主日礼拝説教要旨
「裁きは神に。あなたは人にやさしくしなさい。」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 13:24ー43節
『どんぐり』は若くして亡くなった妻と寺田寅彦の思い出が書かれてある随筆です。妻の身の回りの世話をしてくれたのは、美代という女性です。寺田寅彦は、美代の気立てのやさしさや正直ものであることに目を向けて、いろいろな失敗をしたり、大変なことが起こったりしても、でもこの美代が妻のために一生懸命に働いてくれたことに対する感謝の気持ちは薄らぐことはないと言います。
イエスさまの毒麦のたとえは、「人を裁くのは慎重にしたほうが良い」というたとえです。またイエスさまはからし種のたとえ、パン種のたとえをはなされ、天の国はどんどんと大きくなるのだと言われました。現実の世界はとてもさみしい出来事が起こり、人々の暮らしはよくないし、争いごとも多いけれども、でも神さまの御心が私たちの世界に一杯になり、天の国はどんどんと広がっていく。
私たちはすぐに「わたしが正しくて、あの人は間違っている」と思いたがります。私たちはすぐに人を断罪したがります。人を断裁するとき、悪い人を断罪している自分は正しい人だと思えるからです。そしてすぐに腹を立てます。しかし腹が立った時、私たちが本当にしなければならないことは、自分に神さまの愛が足りないということに気づくことです。「人を裁いているわたしは悪い人だ」と悔い改めるということも大切なことですが、しかしその前に、自分に神さまの愛が足りていないと気づくことは、もっと大切なことだと思います。
神さまの愛が自分に足りていないから、私たちは怒るのです。怒りで一杯になっている時、神さまから見れば、私たちは危篤状態なのです。神さまの愛が自分に十分に感じられるとき、私たちはやさしい気持ちになることができます。腹を立てているとき、私たちは「神さま、わたしをあなたの愛で満たしてください」と祈りたいと思います。
あなたがいちいち、悪い人を探して、「こいつが悪い。あいつが悪い」と裁いていかなくても、天の国はどんどんと広がっていく。だから安心して、裁くことは神さまにお任せして、あなたは人にやさしくしなさい。イエスさまはそのように言われました。
神さまの愛を一杯に受けて、安心して、小さな良きわざに励みたいと思います。
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