2022年5月13日金曜日

2022年5月8日

 2022年5月8日 復活節第4主日礼拝説教要旨

 「エビデンスではなく、愛をもって生きる。」 

               小笠原純牧師

 ヨハネによる福音書 13:31-35節

 わたしはどちらかというと合理的な考えが好きなので、ビジネスライクに物事を考えてしまうところがあります。しかしそれで失敗することも多いです。あまり合理的な考え方をしていると、ときに自分の中に愛がないと思うときがあります。エビデンスとは、「証拠」とか「根拠」ということです。しかしやたらと「ファクトは?」とか「エビデンスは?」と言われると、なんかもっと大切なことがあるのではないかというような気がします。

 内村鑑三は不敬事件」のため、天皇を冒涜したとして追求されます。内村鑑三は、国粋主義者からは拝礼しなかったと言って責められ、キリスト教の人たちからは拝礼したと言って責められるのです。そしてそんななか愛する妻の加寿子が病気のために帰天します。そうしたことで、内村鑑三は信仰的にも、ほとほと疲れ切ってしまっていました。

 そんなとき、加寿子の墓で、内村鑑三は、細き声を聞きます。「一日余は彼の墓に至り、塵を払い花を手向け、最高きものに祈らんとするや、細き声ありー天よりの声か彼の声か余は知らずー余に語って曰く」(内村鑑三『基督信徒の慰』)。「路頭に迷っている老婆は私です。その人に尽くしてあげてください。貧しさのために売春宿に身を置いている少女は私です。その人を救ってあげてください。私のように早く両親を失い、頼る人のいない娘は私です。その人を慰めてあげてください。どうぞ愛と善の業を行ってください」(中島健二『出家』)。

 内村鑑三はほとんど死んだような感じになっていたわけですが、この加寿子の墓の前の出来事によって、生き返ります。加寿子の愛によって、内村鑑三は生き返るのです。「わたしがあなたに尽くしたように、あなたも困っている人のために尽くしてください」。わたしがあなたを愛したように、あなたも困っている人々を愛して、愛と善の業を行なってください。愛をもって生きてください。そのような細き声を、内村鑑三は聞き、そして生き返るのです。

 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と、イエスさまは言われました。私たちはイエスさまの愛の交わりの中に生きています。私たちはときに正義を振りかざし、自分の正しさを証明しようとしたりします。論理的なことや合理的なことは、それはそれでとても大切なことだと思います。しかし同時に、私たちはイエスさまの愛のうちに生きていることを、しっかりと受けとめて歩みたいと思います。


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