2022年6月10日金曜日

2022年6月5日

 2022年6月5日 聖霊降臨節第1主日礼拝説教要旨

 「聖霊に満たされた私たちの歩み」 小笠原純牧師

  マルコによる福音書 3:20-30節

 ペンテコステおめでとうございます。

 一番最初のペンテコステの出来事のときも、聖霊を受けた弟子たちのことをあしざまにいう人たちがいました。「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた」と記されています。

 あざけったり、あしざまに言ったりと、私たちはこころないことをしてしまうときがあります。イエスさまは「国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない」と言われました。内輪もめをして争っていれば、立ち行かず、滅びてしまう。たしかにそうだと思います。正しいことを言っているつもりであっても、だんだんと周りの人々が離れ去ってしまうというようなことがあります。わたしが絶対に正しいと思っていることも、ほかの人からすればそんなに正しいことではないということもよくあることです。だからなんでも譲歩しなさいということではないのですが、ただあざけったり、あしざまに言ったりするのではなく、やはり愛をもって話し合うということを心がけるべきなのだろうと思います。

 今日はペンテコステです。さきほどお読みいたしました聖書のペンテコステの箇所にはこうあります。「一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。聖霊に満たされた弟子たちは、自分の国の言葉で話し出したのではなく、ほかの国々の言葉で話し出しました。それは自分の都合ではなく、相手の都合で話すということです。自分勝手に話すということではなく、相手の立場に立って話すということです。

 「あの男は気が変になっている」「あの男はベルゼブルに取りつかれている」「彼は汚れた霊に取りつかれている」。イエスさまはそのように人々からあしざまに言われました。イエスさまの弟子たちも聖霊を受けたとき、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っている」と人々からあしざまに言われました。そうしたことは、ままあるわけです。聖霊に満たされた私たちの歩みがあると、聖書は私たちに伝えています。それは人のことをあざけったり、人のことをあしざまに言ったりするのではなく、愛を持って話し合うということです。

 聖霊降臨日、ペンテコステの今日、私たちは聖なる霊を受けたのです。私たちには神さまの霊である聖霊が宿っています。神さまの祝福を受けて、愛をもって健やかに歩んでいきましょう。


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