2022年8月19日金曜日

2022年8月14日

 2022年8月14日 聖霊降臨節第11主日礼拝説教要旨

 「塩を持ち、平和に暮らす」 小笠原純牧師

   マルコによる福音書 9:42-50節

 「カルメン」で有名なプロスペル=メリメは、「マテオ・ファルコーネ」という短編小説を書いています。マテオの息子のフォルトナトはかくまっていたお尋ね者を、曹長の誘惑に負けて売り渡してしまいます。マテオはそのことのゆえに、フォルトナトを殺します。「どこにいるの、あの子は」。「谷のなかだ。これからほうむってやる。あの子はキリスト教徒として死んだ。あの子のためにミサをあげてもらおう」。なかなか衝撃的な話です。

 「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい」。今日の聖書の箇所は、新約聖書のなかでも、際立ってすごみのある聖書の箇所であると言えるでしょう。「片手があなたをつまずかせるのであれば、片手を切り捨ててしまえ」「片足が悪いことをするのであれば、片足を切り捨ててしまえ」「片目が罪を犯すのであれば、片目をえぐり出せ」「さもないと地獄へ行くぞ」「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない」。

 旧約聖書は裁きの神さま、新約聖書は愛の神さま。そんなふうに言われたりもします。イエス・キリストによって救われた私たちは、神さまの憐れみの中にいて、そして神さまの愛に包まれ、守られている。そんなふうに私たちは一般的に考えています。それは確かなことであるわけですけれども、しかし新約聖書のなかにも、今日の聖書の箇所のように、強烈な言葉が記されています。

 私たちは神さまから赦されていると思って、自分自身に対して甘いことをしてしまうことがあります。私たちは信仰生活を送っていて、「いいよ、いいよ」というふうに流されていってしまうことがあります。しかしそれぞれ、折に触れて、自分が自分自身に対して「いいよ、いいよ」になっていないだろうかと、問うてみなければならないのだと思います。

 「自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい」と、イエスさまは言われました。アジア・太平洋戦争のことを思い出すとき、自分自身の内に塩を持たなければ、平和を造り出すことはできないと思います。クリスチャンとしての高い志を大切にしなさいと、イエスさまは言われます。イエスさまは小さな者、弱い立場にある人たちを大切にしなければならないといわれました。しっかりとした志をもち、そして互いに責め合ったり、傷つけ合ったりするのではなく、思いやりを忘れず、平和に過ごしなさい。イエスさまはそのように、私たちを招いておられます。


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