2022年9月10日土曜日

2022年9月4日

 2022年9月4日 聖霊降臨節第14主日礼拝説教要旨

 「なぐらない。」 小笠原純牧師

   マルコによる福音書 12:1-12節

 今年の9月1日は関東大震災が起こってから、99年の年でした。関東大震災のときに、日本で朝鮮人に対する虐殺が行なわれたと言われています。私たちの社会は暴力的な社会なのではないかと思え、怖くなります。いまなお、スポーツや学校という場に、意外に暴力というものが根強く残っているというようなことがあります。

 「ぶどう園と農夫のたとえ」は、どうしようもなく暴力的な話です。キリスト教の中では一般的に次のように解釈がされていました。ぶどう園の主人は神さまです。そしてぶどう園の農夫たちは、イスラエルの指導者たちです。そしてぶどう園に遣わされる僕は、預言者たちです。イスラエルの指導者たちは、神さまから遣わされる預言者たちの言うことを聞かず、をひどい目にあわせたり、また殺してしまったりします。そして最後に送られるのが、ぶどう園の主人の息子、すなわち神さまの御子イエスさまです。しかし神さまの御子であるイエスさまもまた、イスラエルの指導者たちによって殺されてしまいます。イエスさまは十字架につけられて殺されてしまいます。しかし神さまはイスラエルの指導者たちが捨てたイエスさまを隅の親石として用いられます。イエスさまが人々の罪をあがなってくださり、人々は神さまによって赦されるのです。

 イエスさまは暴力的なたとえを話されたわけですが、しかしイエスさまはそうした暴力的な社会の中にあって、暴力的な歩みを越えて、神さまの愛のうちを歩むことの大切さを、私たちに教えてくださいました。イエスさまはそのことをとくに、イエスさまの十字架と復活ということによって、私たちに示してくださいました。人々からののしられ、辱めをうけられ、イエスさまは十字架につけられました。しかしイエスさまは暴力で物事を解決することをなさいませんでした。

 私たちは神さまの愛のうちに生かされています。その愛を受けとめ、私たち自身が暴力的な解決を行なうことから避けて歩んでいきたいと思います。私たちの周りの小さな社会は、世界の有り様に結びついています。私たちが「なぐらない」という思いをもって生きていく時に、私たちの世界も「なぐらない」という社会になっていくのです。イエスさまの愛を知っている者として、愛でもってこの世を治めることを祈りつつ歩んでいきたいと思います。


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