2022年10月22日土曜日

2022年10月16日

 2022年10月16日 聖霊降臨節第20主日礼拝説教要旨

 「涙をぬぐってくださる方」 小笠原純牧師

   マタイによる福音書 5:1-12節

 向田邦子の『阿修羅のごとく』のなかで、印象的だった言葉は、「10年たったら笑い話だよ」というお父さんの言葉です。10年たったら笑い話になるようなことも、そのときはとても腹が立って、とりかえしのつかないことをしてしまうということもあります。私たちは将来どのようなことが起るのかということを、先の先まで知ることはできません。ですからできればあまりその場限りの激情に流されるのではなく、すこし落ち着いて、周りの人が幸せになる道を探るということも大切ではないかと思います。

 「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」。この言葉はこの『幸い』という個所を全体的に考える上で、典型的な言葉です。それは「幸い」である理由というのが、「神さまがおられるから」だからです。「心の貧しい人々は、幸いである」のも、「悲しむ人々は、幸いである」のも、「柔和な人々は、幸いである」のもそれは神さまが私たちと共にいてくださるからなのです。

 私たちクリスチャンは、今だけを見て生きているわけではありません。今だけを見て生きているのであれば、「悲しむ人々は、幸いである」ということはできません。本当に辛く悲しいわけです。しかし私たちはたとえ苦しくても、たとえ辛くても、かならず救いの御手を差し伸べてくださる方がおられるということを信じています。どんなに辛いときも、どんなに悲しいときも、神さまが私たちと共にいてくださるということを、私たちは信じています。

 「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21章3ー4節)。

 私たちには慰めてくださる方がおられる。私たちの涙をぬぐってくださる方がおられる。この方を信じ、この方を信頼して歩んでいこう。私たちの神さまはいつも私たちと共にいてくださり、私たちを愛してくださっている。イエスさまはそのように言われ、愛の神さまが私たちをしっかりととらえてくださっていることを教えてくださいました。

 私たちには慰めてくださる方がおられます。私たちの涙をぬぐってくださる方がおられます。神さまを信じて、歩んでいきましょう。


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