2022年10月9日 聖霊降臨節第19主日礼拝説教要旨
「自分の愚かさを知る」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 14:26-42節
わたしのゼミの先生でした野本真也先生は、私たちを教会に送り出す時に、「あなたたちのことは信じていないけれど、あなたたちを教会に送り出す神さまのことを信じている」と言われました。新島襄は卒業生の前途を祝して、Mysterious Hand guide you!と言いました。神さまの不思議な御手があなたを導いてくれる。あなたは大した者ではないかも知れないけれども、神さまの不思議な御手があなたを守り導いてくださる。
イエスさまのお弟子さんたちも、聖書を読む限りにおいては、そんなに大した人ではありませんでした。よく失敗もしますし、イエスさまから怒られることもあります。弟子たちは絶対にイエスさまを裏切ることはないと言いました。しかし弟子たちはイエスさまの十字架に際して逃げ出してしまうことになります。またゲッセマネでイエスさまから、「目を覚まして祈っていなさい」と言われても、みんな眠り込んでしまいました。
弟子たちは愚かです。自分が愚か者であることに気づいていないのです。自分がだめな人間であることに気づいていないのです。わたしは愚か者でないと信じているので、イエスさまのことを裏切らないと言うのです。愚かな弟子たちは、イエスさまの小さな願いを聞くことができないのです。「目を覚ましていなさい」と言われても、弟子たちは目を覚ましていることができないのです。
信仰は自分の愚かさを認めるところから始まります。イエスさまを裏切ることなく、イエスさまと一緒に死んでいくすばらしい人であれば、イエスさまを信じる必要はありません。イエスさまにより頼んで生きていく必要もないだろうと思います。イエスさまの小さな願いをきくことができず、眠り込んでしまう愚かな弟子たちだからこそ、イエスさまを信じる必要があるわけです。イエスさまのことを三度知らないと言う弟子たちだからこそ、神さまにより頼んで生きていく必要があるわけです。
自分勝手な私たちをイエスさまは知ってくださり、私たちのことを愛してくださいます。わたしは「自分のことは信用ならない」と思いますが、しかしわたしを愛してくださる神さまを信じています。神さまは皆様、お一人お一人を愛してくださり、悲しい時もさびしい時も共にいてくださり、皆様のひと足ひと足を守ってくださっています。愛の神さまがおられます。神さまにすべてをお委ねして歩んでいきましょう。
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