2022年10月1日土曜日

2022年9月25日

 2022年9月25日 聖霊降臨節第17主日礼拝説教要旨

 「初めて手にした十字架」 平松譲二牧師

    ヨハネによる福音書 20:24-29節

◆ 復活の出来事から1週間、ようやくトマスが弟子たちとの交わりを再開したその時に、復活のイエスが現れました。そして、トマスに「あなたの指をここに当てて手をみなさい。また、あなたの手を伸ばし、私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と語られました。トマスは、復活のイエスとの直接出会った驚きと喜び、また恐れを持って、「私の主、私の神よ」と、思わず叫び、告白したのでした。しかし、トマスを責めることはできません。私たちも実体験としてイエスの十字架と復活を目の当たりにしていません。十字架と復活の出来事を理解しているとしても、そのことをどのように理解し、私たちの信仰につなげていくのかを誰しも悩んだ経験があります。

◆ 今年の夏、妻と二人で南ドイツのオーバーアマガウを訪れました。オーバーアマガウは約400年前から10年に一度、村あげてイエス・キリストの受難劇を開催する人口約5400人の小さな村です。たくさんの村人が役者、オーケストラ、制作などの役割を担いながらこの受難劇にかかわり、約半年間(5月から10月)の受難劇を作り上げていきます。イエスの受難のシーン、まさに弟子の裏切り、イエスの逮捕、真夜中の裁判、ゴルゴタへの道、十字架上の受難などが、聖書の記述に沿った形でとてもリアルに描かれていました。思わず目を背けたくなるシーンもあり、様々な思いと共に約5時間の超大作を鑑賞させていただきました。

◆ この受難劇を通して、やはり私たちの信仰の原点はイエスの受難と復活にあるのだということをあらためて教えられました。現代を生きる私たちは今も、戦争や貧困、病気や疫病などの問題に直面しています。人類はそれらの問題とどのように向き合い続ければよいのでしょうか。その答えは、十字架に向かうイエスの語る言葉にすべて入っているのではないでしょうか。そして、復活のイエスが弟子のトマスに語られた、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる者は幸いである。」という言葉に、復活を信じる私たちの信仰の原点があります。

◆ 受難劇を鑑賞させていただいた次の日、劇場のすぐ裏の木彫り職人さん工芸店でこの小さな十字架を購入させていただきました。受難劇で使われた十字架の縮小版を木彫りされたものですが、息を引き取られたイエスが十字架から降ろされた後、イエスが身に付けていた白い布が十字架にかけられたものを再現されています。私自身初めて手にした十字架なのですが、この十字架を見るたびに、キリストの十字架と復活の意味を覚えたいと願っています。


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