2022年12月2日金曜日

2022年11月27日

 2022年11月27日 待降節第1主日礼拝説教要旨

 「自由に解き放たれ」 小笠原純牧師

  ルカによる福音書 21:25-36節

 私たちにとっては、世の終わりというものが、良い悪いは別にして、すぐに起こることとしては、なかなか考えることができません。しかしイエスさまの時代や弟子たちの時代は、世の終わりについての確かな確信というものがありました。世の終わり、終末は、もうすぐそこに来ているというふうに、当時の人々の多くは考えていました。

 終末の出来事、世の終わりの出来事というのは、たしかに恐るべき出来事であるわけです。しかしそれはただただ恐れるべきものであるということではありません。聖書は「あなたがたの解放の時が近いからだ」と言っています。そしてまた、「神の国が近づいていることを悟りなさい」とあります。それはいたずらに恐れたり、あわてたりするのではなく、しっかりと出来事を見据えることが大切だということです。

 終末において、私たちに求められていることは、平静さを失わないということです。それは終末においてだけではなく、私たちの日常の生活のなかでも、同じことです。いたずらにこころを騒がすのではなく、しっかりと出来事を見据えるということが大切です。

 イエスさまは言われました。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。それは「主にあっては、恐れはない」ということなのです。私たちはイエスさまにつながっている限り、何ものからも自由であるのです。びくびくする必要はない。たとえ天地が滅びるとしても、私たちは滅びることはないのです。私たちはそうした平安のなかに導かれています。私たちはイエスさまにつながっている限り、何ものからも自由なのです。私たちは自由に解き放たれて生きることが許されているのです。

 私たちの世の中は、私たちの不安をあおり、私たちの憎しみをあおる、そんな雰囲気に満ちています。私たちは何に依り頼んでいるのかを思い起こしたいと思います。私たちは自分のプライドのために、生きているのでしょうか。私たちは人を憎むために生きているのでしょうか。私たちは、主イエス・キリストによって生きているのです。

 今日はアドベントです。ローソクの灯がひとつ点きました。私たちの心のなかにも、憎しみの炎ではなく、愛のローソクの灯をひとつ灯したいと思います。


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