2023年1月13日金曜日

2023年1月8日

 2023年1月8日 降誕節第3主日礼拝説教要旨

 「洗礼。新しいいのちへ」 小笠原純牧師

  ルカによる福音書 3:15ー22節

 もう23年も前の話になりますが、わたしの母は病床洗礼を受けました。わたしの母はアルツハイマー病でしたので、自分の意志で信仰告白を行うことはできませんでした。一般的な印象からすると、「もう洗礼を受けなくてもいいのではないか。神さまは母のことをよくわかってくださっているのだから」とも思えます。しかしそれでも敢えて洗礼を受けてキリスト者になるということの大切さというのがあるような気がします。

 W.H.ウィリモン『洗礼 新しいいのちへ』(日本キリスト教団出版局)という本は、洗礼について書いてある本です。ウィリモンは【キリスト者は、洗礼を通して、しかも最終的に、自分が誰であるのかを学ぶのです。洗礼は、アイデンティティを与える式です】と言います。

 イエスさまが洗礼を受けられたとき、天から声が聞こえました。【「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」】。この天からの祝福は、私たちに与えられた祝福でもあるわけです。私たちがりっぱな神の子になったから、私たちは洗礼を受けるわけではありません。私たちが神さまから愛されるのにふさわしい者になったから、私たちは洗礼を受けるのではありません。そうではなく、私たちはただ「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの祝福を、洗礼を受けることによって、宣言されるのです。そのことによって、私たちは自分が誰であるのかということを知ることができるのです。

 人はわたしのことをいろいろと言います。「なまけもの!」「臆病者!」「いいかげんな人間だ!」「いばってばかりでいやなやつ!」「弱虫、毛虫!」「役立たず!」。そうしたことは、たしかにそうであるわけです。わたし自身にも「そうかも知れない」と思い当たることがあります。しかし、しかし違うのです。そうではないのです。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」。これがわたしなのです。洗礼とはこのことを受け入れるということです。

 世の中の困難な世相や、また自分自身のだらしなさや弱さのゆえに、なんとなく希望がないように思える時もあります。しかし大切なことは、神さまが私たちのことを愛してくださり、私たちを救ってくださったということなのです。神さまが「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と祝福してくださっているということなのです。

 新しい年も神さまの愛する子として、胸を張って歩んでいきましょう。


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