2023年1月22日 降誕節第5主日礼拝説教要旨
「悲しむ人たちへの良き知らせ」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 21:1-6節
平安教会創立の関連牧師である新島襄は、1890年1月23日に帰天しています。明日が帰天日です。新島襄で有名な話は、「自責の杖」の話です。この出来事を原田助や堀貞一は、感動をもって受けとめています。しかし徳富蘇峰はあまり良いようには受けとめていませんでした。同じ出来事を経験しても、その感じ方というのはやはりいろいろなのだなあと思います。イエスさまについても同じように、イエスさまはすばらしいと思った人と、そうでもなかった人たちもいたようです。
イエスさまが育たれたナザレですから、イエスさまが小さい頃のことを知っている人たちが大勢いたのです。またイエスさまのお父さんのヨセフさんのこと、マリアさんのこと、そしてイエスさまの家族のことを知っている人たちが大勢いました。そうした人たちはあまりにイエスさまのことが身近に感じられるので、イエスさまのことを信じることができないわけです。「この人はヨセフの子ではないか。」。そんな大した人間であるわけがないと思えるのです。
イエスさまもそうしたことがわかっているので、ちょっと斜に構えたような話をしています。あなたたちは「イエス、お前はカファルナウムでいろいろな奇跡を行なったわけだから、地元であるナザレでも同じようにしてくれよ」と言うだろう。「いや、わかっている。預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」。「あなたたちはわたしのことを敬おうというような気持ちはないだろうし、わたしを信じることはないだろう」。イエスさまはそのように言われました。
イエスさまはユダヤの会堂で、イザヤ書61章1節の「貧しい者への福音」という表題のついている聖書の箇所を読まれました。イエスさまは自分がこの世にきたのは、貧しい人々に福音を告げ知らせるためなのだと言われたのです。あなたたちのような小手先の関心ではなく、心の底から神さまを求めている人たちに対して、神さまの祝福がその人の上にあると告げるのだと、イエスさまは言われました。
イエスさまは言われます。【「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる】(ルカによる福音書6章20節以下)。
さみしいとき、かなしいとき、イエスさまは私たちにともなってくださり、私たちの涙をぬぐってくださいます。イエスさまと共に安心して歩んでいきましょう。
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