2023年2月3日金曜日

2023年1月29日

 2023年1月29日 降誕節第6主日礼拝説教要旨

 「神の神殿は、生きているか」 汐碇直美牧師

   ルカによる福音書 21:1-6節

 ナチス・ドイツ時代の牧師・神学者、ボンヘッファーは「他者のための教会」という印象的な言葉を残しました。つまり教会は、神さまと人に仕えるために存在しているということです。

 ルカ福音書21章5節以降で主イエスは神殿のあり方を問われ、その建物は神殿の本質ではないと指摘されました。「教会」を意味するギリシア語「エクレシア」の本来の意味は「集会」です。どれだけ立派な建物があっても、そこに神さまを礼拝する人々が集っていない限り「教会」とは呼べません。

 今日のみ言葉の前半部分、「やもめの献金」の物語は、教会、つまり礼拝する人の内実を表しているものです。ある貧しいやもめが、彼女の全財産であったレプトン銅貨2枚をささげました。1レプトンは今の日本円で約78円、2レプトンで約156円です。ユニセフの定める「極度に貧しい暮らし」は1日1.9ドル、約200円以下で生活しなければならない状態ですから、それに近い状況です。

 このささやかな献金に目を留めたイエスさまは、「この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れた」とおっしゃいました。「生活費」に当たるギリシア語「ビオス」は元々は「命」や「生活」「人生」という意味です。イエスさまは金額の大小という「目に見える部分」ではなく、彼女が自分のすべてをささげた、その「心」を見られたのです。

 やもめの状況をリアルに想像するほどに、その厳しさの中で2レプトンをささげた彼女のすごさがわかり、「私にはできない」と尻込みしてしまいます。しかしそれでイエスさまの招きを拒んでしまうのは、あまりにももったいない。私たちも実は毎週の礼拝献金で彼女と同じように、お金だけではなく、体、心、たましいも含めた「私」という存在の全てをおささげしているはずなのです。

 最初に、教会とは神さまと人に仕える存在だとお話ししました。それはまるで十字架のように、神さまに向かう垂直方向の献身と、隣人に向かう水平方向の献身の二つがあるということです。関西労働者伝道委員会と専従者の大谷隆夫先生の場合は、釜ヶ崎の労働者という横方向への献身であり、この隣人への奉仕を通して、神さまに仕えておられます。

 「教会は生きているか」と、主イエスは問われます。実に厳しい問いです。しかしイエス・キリストは十字架と復活というみ業によって、神さまと隣人に仕え、共に生きる道を切り拓いてくださいました。感謝と祈りをもってこの道を一筋に、共に歩んでまいりましょう。に出会う歩みへと招かれたい。


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