2023年5月21日 復活節第7主日礼拝説教要旨
「いつまでもイエスと共に」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 28:16-20 節
「とりあえず」とか「キープしておいて」というような生き方を、私たちはよくします。「とりあえず、ビール」と言ったり、バーゲンセールに行って、「とりあえずこのセーターをキープしておいて」というふうに抱え込んで、そしてもっとよりよいものはないだろうかと探したりします。人間関係だけでなく、私たちと神さまの関係を考えたとき、私たちはかなり自分勝手なことばかりしているのではないかと思います。神さまがたえず愛してくれているということを知りながら、その愛に応えることをせず、適当にあるいは自分の好きなときだけ応えているのです。神さまを「キープ君」にしてしまっているわけです。
マタイによる福音書28章17節には【そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた】とあります。復活の出来事に関して「疑う者もいた」と、マタイによる福音書は言っています。聖書はイエスさまの復活について、信じられない人を何人も描いています。
椎名麟三というクリスチャンの小説家は、『私の聖書物語』という本のなかで、「キリストは・・・限界があるということが人間の喜びとなり栄光となるためにやって来たのである」と言っています。信じられないという限界のある人間だからこそ、人間とはそういう存在であるからこそ、キリストが人間に働きかけてくれるのだ、ということです。信じられない弱い器である私たちを認め、そのままで神さまは私たちを愛してくださっている。「疑う者がいた」ということから、「疑うやつは極悪人だ」「おまえは疑っていないか」「疑っているのはおまえだろう」というように考えていくのではなく、「自分が疑う者であり、そうした弱い自分を神がそのままで愛してくれている」ということを信じることが、大切だということです。
私たちはなかなか信じることのできない者であり、イエスさまに従うことのできない者です。しかしイエスさまはそれでもなお、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と私たちに言ってくださっています。この招きに応えて、イエスさまと共に歩みたいと思います。いろいろな不安なことや心配なことが、私たちの現実の中にたしかにあります。しかしそれでもなお、イエスさまは私たちを導き、祝福してくださり、私たちに良きものを備えてくださいます。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と言ってくださるイエスさまに、「私たちも世の終わりまであなたと共にいたい」と応える者でありたいと思います。
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