2023年6月23日金曜日

2023年6月18日

 2023年6月18日 聖霊降臨節第4主日礼拝説教要旨

「ただ信じなさい。そうすれば救われる」 

                小笠原純牧師

  ルカによる福音書 8:40-56節

 「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」は、二つの物語が一つの物語になったと言われています。

 私たちには「もうだめだ」と思えるときがあります。十二年間、出血が治まらなかった女性は、医者にかかり続けて、それでも治ることなく、お金も尽きてしまいました。女性は「もうだめだ」と思っていたのですが、最後に、イエスさまのところにやってきて、そしてイエスさまがいやしてくださったのです。会堂長のヤイロも「もうだめだ」と思っていました。一人娘が死にかけているのです。ヤイロもまたイエスさまのところにやってきました。しかしイエスさまが家に着く前に、一人娘が亡くなったということを使いの者から聞きました。ヤイロは「やっぱりだめだった」と思いました。しかしイエスさまは「だめだった」と思ったヤイロに、「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる」と言われ、一人娘を生き返らせました。

 私たちには「だめだ」と思えるときがある。しかし私たちを救ってくださる確かな方がおられると、聖書は私たちに告げています。不安になったり、信じられなかったり、自分ではどうすることもできず、「だめだ」と思える出来事に出会うときが、私たちにはあるけれども、しかし私たちにはすがる方がおられるのだと、聖書は私たちに伝えています。私たちの命の源であり、私たちの救い主である主イエス・キリストが私たちを導いてくださると、聖書は私たちに伝えています。

 この「イエスの服に触れる女」の物語と、「ヤイロの娘」の物語は、十二年という数字が結び合わせた物語であるわけですが、しかしそれだけではなく、この二つの物語は「信仰」の物語であるのです。

 「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」「恐れることはない。ただ信じなさい」。イエス・キリストは「神さまを信じなさい」と、私たちを招いておられます。「ただ信じなさい。そうすれば救われる」。これはもう信仰とはそうとしか言いようがないのです。私たちが救われるのに、なにか理由があるわけではありません。なにかできるから救われるのでもないですし、なにかりっぱだから救われるのでもないのです。ただイエス・キリストを信じて、そして救われるのです。

 たとえ「もうだめだ」と思えることがあったとしても、神さまから見捨てられたのだとあなたが思ったとしても、神さまはあなたを愛しておられる。だから「神さまを信じなさい」。そのようにイエスさまは私たちを招いておられます。イエス・キリストの招きに応えて、神さまを信じて歩みましょう。


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