2023年8月4日金曜日

2023年7月30日

 2023年7月30日 聖霊降臨節第10主日礼拝説教要旨

 「お調子者でごめんなさい」 小笠原純牧師

   ルカによる福音書 9:51-62節

 太宰治の『走れメロス』は、友人を人質において妹の結婚式に出席し、帰ってくるという話です。人生には「これをする前に、それをしておきたい」というようなことが起こるわけです。

 イエスさまの時代は世の終わり・終末ということを、みんなが身近に感じていました。あんまり悠長なことを言っている場合ではないので、「どっちにするんだ。どうするんだ」ということが激しく問われるわけです。

 イエスさまが弟子を選ばれたとき、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネ、どちらも「すぐに」、イエスさまについていくのです。イエスさまのお弟子さんたちは、いろいろな失敗をするわけですが、でもこの「すぐに」イエスさまについていったということは、とても良いことであったわけです。イエスさまの弟子たちは「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」「まず家族にいとまごいに行かせてください」とは言わないのです。

 人はどちらかというといさましい物語が好きです。「すべてを棄てて、イエスさまに従った」という物語にこころ引かれていきます。わたし自身もそうです。こころが踊るような信仰の話を聞くとうれしくなります。ですから「お家の人の介護をした人たちはだれですか」というようなことは、あまり気に留められてきませんでした。高齢化社会になって、「ケア」の大切さということが言われるようになっています。ケアというのは、家事、育児、介護、医療や看護というようなことです。

 「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った人も、まあなかなか調子の良い人であるわけです。いろいろなことを考え始めると、なかなかイエスさまに付き従うという決断をすることはできません。「イエスさまに付き従う」と言った後で、そのようにできない事情が出てくることもあるかも知れません。「すみません。従うことができませんでした」というようなこともあるかも知れません。

 先のことはよくわからないのですが、私たちは調子よく「イエスさまに従います」という思いも大切にしたいと思います。「お調子者でごめんなさい」。「すみません。ちょっとできませんでした」ということがあるかも知れません。

 私たちのことをすべて知ってくださり、そして私たちのことを愛してくださるイエスさまが、私たちを招いてくださっています。「わたしに従いなさい」との招きに応え、イエスさまにお委ねして歩んでいきたいと思います。

 

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