2023年8月6日 聖霊降臨節第11主日礼拝説教要旨
「隣人を自分のように愛しなさい。」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 10:25-42節
ことしは平和聖日に、「戦争プロパガンダ展」を計画いたしました。私たちは過去の戦争を振り返りながら、自分たちが戦争に駆り出されて行くことのないようにしたいと思います。
「わたしの隣人とはだれですか」という問いに対して、イエスさまは「だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と、律法の専門家にたずねています。隣人の定義はどうだこうだということではなく、「人は隣人になる」のだと、イエスさまは言われます。「隣人はだれか」ではなく、「隣人になる」のだ。隣人とはそういうものだ。隣にいる困っている人が隣人で、その人をあなたが助けて、その人の隣人になるのだと、イエスさまは言われました。
私たちは「永遠の命を受け継ぐためには」「隣人とは」「困っている人たちを助けたい」「世界の平和のために」というようなことを話しながら、実際は家族のなかで、「あいつ、どうよ」というようなことを繰り返します。
マルタはマリアの態度がいやでした。イエスさまがお家にやってきたので、マルタはイエスさまをもてなすために一生懸命に働いています。しかしマリアはイエスさまの足もとに座って、イエスさまの話を聞いています。それでマルタは「あいつ、どうよ」と思います。そしてイエスさまに「なんとか言ってください」と頼みます。
いいことをしていると思っているときには、人は人のことを裁きがちです。「あいつ、どうよ」と思います。「わたしが一生懸命に、イエスさまのおもてなしをするために働いているのに、『あいつ、どうよ』」。「わたしがこんなに世界平和のために一生懸命に働いているのに、『あいつ、どうよ』」。「わたしが一生懸命にイエスさまの話を聞いているのに、『あいつ、どうよ』」。
イエスさまは「隣人を自分のように愛しなさい」と言われました。マルタがそうであったように、身の回りのことでも、私たちはついつい腹を立てて、自分の心の中を憎しみまみれにしてしまうことが多いです。「あいつ、どうよ」「どうして、あの人、あんなことしているの」。心の中がついつい憎しみや怒りに支配されてしまうということがあります。しかしイエスさまは「愛しなさい」と言われました。あなたは憎しみに支配されてしまっているけれど、でも大丈夫。わたしの愛をあげるから、あなたも愛するようになりなさい。
神さまの愛に満たされて、平和を実現する人として、隣人を愛し、神の子として歩んでいきましょう。
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