2023年12月3日 待降節第1主日礼拝説教要旨
「私たちを救ってくださるイエスさま」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 7:25-31節
クリスマスによく読まれる本に、トルーマン・カポーティの『あるクリスマス』(文藝春秋)という本があります。トルーマン・カポーティがお父さんと過ごした最初で最後のクリスマスについて書かれてある本です。トルーマン・カポーティの大親友のミス・スック・フォークは、なんでも「主の御こころ」と考えているような人でした。爪先をどこかにぶっつけて痛い思いをするのも、主の御こころ。馬から落ちるのも、主の御こころ。大きな魚を釣り上げるのも、主のみこころ。なんでも「主の御こころ」というのは、まあばかげているような気もいたします。しかし『あるクリスマス』に出てくるミス・スック・フォークの信仰が、わたしはとても好きで、「主の御こころ」がなされていくのだというような信仰を、わたし自身ももっています。
ヨハネによる福音書は、イエスさまは神さまの御子として、私たちの世に来てくださり、私たちに永遠の命へと導いてくださる方であることを、私たちに告げています。そして神さまから離れて生きていこうとする罪深い、神さまの前にふさわしくない私たちがいること。そうした罪深い私たちのために、イエスさまが十字架によって私たちをあがなってくださる。そうした意味での救い主メシアが、イエスさまであること。そしてそれは神さまのご計画であり、神さまの御こころであることを告げています。
「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」という群衆の言葉は、イエスさまに対しての誉め言葉であると同時に、イエスさまに対する誤解も含んでいる言葉であるような気がします。人々はやはりこの世的な意味でのすばらしさを、イエスさまに対して求めているということです。それは預言者的な格好の良さというようなものであるような気がいたします。しかしイエスさまは悪を裁く預言者として、私たちの世に来られたのではありません。私たちを罪からあがなう救い主メシアとして、私たちの世に来てくださったのです。
アドヴェントに入りました。救い主イエス・キリストが、私たちの世にきてくださいます。私たちのすべてを知った上で、私たちを赦してくださり、私たちを救ってくださる救い主イエス・キリストが私たちにところにきてくださいます。イエスさまを迎える準備をしながら、私たちのこころも整えていきたいと思います。私たちを救ってくださったイエスさまに感謝しつつ、この喜びを隣人に届けていきたいと思います。
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