2023年12月24日 待降節第4主日礼拝説教要旨
「主の平和の年がやってくる」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 2:1-7節
クリスマス、おめでとうございます。主イエス・キリストのご降誕をこころからお祝いいたします。
わたしの出身大学の逍遥歌(学生歌のようなもの)の三番目の歌詞は、「ああ南溟なんめいの曉に 無念の涙胸に秘め 今永劫に散りゆきし 旅人ありと我は聞く」というものです。「南方の海、明け方に、無念の涙を胸に秘めて、もう帰ることのなく散っていった、旅人がいると、わたしは聞いた」という歌詞です。いまも私たちの世界では、ウクライナとロシアとの戦争のために、パレスチナのハマスとイスラエルとの戦争のために、ペンの代わりに銃をもって戦っている学生がいます。戦争は終わりそうもなく、私たちもこころを痛めつつ、このクリスマスを迎えています。
ヨセフとマリアは為政者によって人生を翻弄されるふつうの人です。多くの人々は為政者たちの都合によって、右往左往させられます。とくにイエスさまの時代は、民主主義というようなことではないわけです。命令は上から突然おりてきます。「住民登録せよ」「これこれの税金をおさめよ」。ヨセフもマリアも、その命令に翻弄されつつ、生きていました。
「飼い葉桶に寝かせた」「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とありますように、イエスさまは居場所のない民として、その歩みを始められました。イエスさまは生まれてまもなく、難民として、エジプトに逃げることになります。ちょうどパレスチナのガザ地区の人々が、エジプトの方へ逃げようとしていたように、イエスさまもエジプトに逃げていくのです。聖書は、イエスさまがうまれたときから、為政者によって翻弄され、危険な目にあったり、逃げ惑う人々と同じことを経験された方であることを、私たちに告げています。イエスさまは小さき者の苦しみを共にされた方でした。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。ウクライナとロシアの戦争、パレスチナとイスラエルの戦争。私たちの世界は争いに満ち、暴力によって自分の思いどおりにすることでもって、世の中を支配しようとする力に満ちています。そうしたなかにあって、私たちは私たちの救い主イエス・キリストが、平和の君として、私たちの世にきてくださったことを、しっかりと受けとめたいと思います。クリスマス、主の平和の年が来ますようにと祈りたいと思います。新しい年が、神さまの愛に満たされた年となりますように。神さまの平和が来ますようにとお祈りいたします。
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