2024年6月2日 聖霊降臨節第3主日礼拝説教要旨
「新しく生き直そうよ。」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 3:1-15節
5月は中学生、高校生、大学生の前で礼拝説教をするということがよくありました。彼女ら彼らからみると、わたしもおじいさんにみえるのだろうと思います。レベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』を読みながら、わたしも若者に説教をして迷惑をかけないようにしないといけないと思いました。そう思いながらも説教していたりして、新しく生まれ変わるということは、なかなかむつかしいものだと思いました。
ファリサイ派の議員のニコデモは、イエスさまのところを訪ねてきます。そしてイエスさまから「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言われます。
ニコデモは「新しく生まれる」「生き方を変える」「人生やり直す」というような一般的な意味で、イエスさまの言葉を受け取り、「そんな、年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか」と答えました。しかしイエスさまは、一般的な意味ではなく、永遠のいのちの問題として、新しく生まれるということを語っておられます。
そしてイエスさまは、水と霊とによって新しくうまれた者は、自由だと言われます。風のように自由なのです。何かに縛られているのではなく、自由に、自分の感じるままに歩んでいくことができるのです。「こうしたらだめだろうか」「ああしたら、みんなから非難を受けるだろうか」。そうしたことにとらわれることなく、自由に歩んでいくことができるのです。
新たに生まれた者として生きるということは、神さまを中心にして生きていくということです。神さまを中心にして生きていくときに、私たちは自由に生きることができます。人間のことばかりを考え、自分のことばかりを考えて生きていくと、自由に生きていくことができません。
私たちクリスチャンは、洗礼を受け、新しく生まれた者として生きています。ですからやはり、神さまを求めつつ歩んでいきたいと思います。神さまから罪赦され、神さまから祝福を受けている者として、永遠のいのちに連なる者として、勇気をもって歩んでいきたいと思います。聖霊に導かれて、軽やかに生きていきたいと思います。
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