2024年8月11日 聖霊降臨節第13主日礼拝説教要旨
「あなたがすべてをご存じです」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 21:15-19節
わたしが初めて教会で働き始めたのは、岡山教会でした。そこで牧師になる前の伝道師をしていました。伝道師の仕事で、いろいろな印刷物を作るということがありました。あるとき印刷物の間違いが多く、苦情が殺到した時がありました。つぎの週、わたしは間違いがないように念入りに、週報をつくりました。しかし印刷してみると、間違いがあります。200枚の週報をすり直しました。悪いとは思いつつ、証拠隠滅をはかり、間違った週報は家に持って帰り、メモ用紙に使っていました。メモ用紙を使うたびに、毎回反省するわけです。「わたしが悪かった。わたしが悪かった」。「人は知らないけど、この紙は知っている」。「人は知らないけど、神は知っている」。「人は知らないけど、神さまはご存じだ」。
こんなわたしが牧師をしていられるのも、キリスト教が失敗者の宗教だからです。キリスト教の大きな特色は、それは失敗者がイエス・キリストを宣べ伝えたということでした。イエスさまの弟子たちはみな、イエスさまを裏切りました。なかでも使徒ペトロはそうでした。しかしそのペトロが初期のキリスト教で、大切な働きをしました。ペトロは、初期の教会のかしらとして用いられたのです。
イエスさまは三度、ペトロに「わたしを愛しているか」と尋ねます。ペトロはこころを痛めます。それはイエスさまが十字架につけられるときに、ペトロが三度、イエスさまのことを知らないと言ったからでした。イエスさまから三度「わたしを愛しているか」と問われることは、ペトロにとってとても苦しく、悲しいことだと思います。
イエスさまはペトロに、「わたしの羊を飼いなさい」と命じられ、大切な役割をペトロに託されました。イエスさまによって許され、そして同時に大きな役割を命じられたことによって、ペトロは新しく生きる決心ができたと思います。それは自分の力を信じて生きていくのではなく、神さまに委ねて生きていくと生き方です。それは「神さま、あなたは何もかもご存じです」という生き方です。自分の失敗を他人が知っており、蔑んでいるということが大切なのではないのです。神さまが知っておられ、神さまが許してくださるということが大切なのです。
神さまは私たちを大きな愛で包み込んでくださり、私たちの嘆きや悲しみをいやしてくださるのです。すべてを知っていてくださる神さまの、大いなる赦しと、祝福の中に、私たちは生かされています。このことに希望を置いて歩んでいきましょう。
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