2024年11月22日金曜日

2024年11月17日

 2024年11月17日 降誕前第6主日礼拝説教要旨

「いない・いない・ばあの神さま」 小笠原純牧師

   出エジプト記 3:13-14節

 あかちゃんは「いないいないばあ」が好きです。ですからこんな絵本もあります。松谷みよ子のあかちゃんの絵本、「いないいないばあ」(福音館書店)。「いないいないばあ」を、なんであかちゃんがうれしがるのかというと、最後の「ばあ」があるからです。あかちゃんは「ばあ」があることを信じているのです。わたしはキリスト教の信仰というのは、この「いないいないばあ」のようなものだと思います。私たちの神さまは「いないいないばあ」の神さまなのです。

 かならず「ばあ」と言って現れるのです。わたしはそう信じています。

 出エジプト記は、エジプトで奴隷として苦しんでいた人々が、神さまが選んだモーセというリーダーによって、エジプトから導き出されるという話です。神さまはモーセに、「わたしは人々が苦しんでいる叫び声を聞いたので、おまえを遣わす」と言います。モーセは「あなたは神さまだと言われるけれども、人々にあなたのことを何と伝えれば良いですか。あなたの名前は何ですか」と尋ねます。モーセが神さまの名前を問うたときに、神さまは「わたしはある。わたしはあるという者だ」と答えられました。

 私たちはまた、人生の中で出会う大きな困難の中で、「かみさまはわたしと一緒にいてくださらない」と思えるときがあります。本当に孤独で、どうしたらいいのかわからず、ただただ不安になるというときがあります。神さまは「いないいない」というふうに思えるのです。人は悲しいとき、苦しいとき、なかなか神さまが共にいてくださるとは思えません。私たちの信仰はそんなにりっぱなものではありません。

 しかし私たちが神さまと出会うのは、うれしいとき、幸せなときだけでなく、深い悲しみのなか、つらい思いの中であるのも、確かなことです。どうしようもない深い悲しみや不安の中から、私たちは神さまに新しく出会います。そして自分が悲しいとき、苦しいとき、神さまがおられなかったのではなく、自分が神さまに気づかなかっただけだということを知ります。神さまはずっと私たちと一緒にいてくださったということに気づきます。神さまは「いないいない」のではなく、必ず「ばあ」といてくださるのです。

 人生も、いろいろなことがあると思います。「なんでわたしがこんな目にあうんだ」と思えること、あるいは「神さまなんて、いない」と思えること、そんなときがあると思います。そんなとき、教会の礼拝にいらしてください。そして「いない、いない、ばあの神さま」に出会ってほしいと思います。


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