2024年12月28日土曜日

2024年12月22日

 2024年12月22日 待降節第4主日礼拝説教要旨

「よかったね。ヨセフさん。」 小笠原純牧師

   マタイによる福音書 1:18-23節

 「【星を動かす少女  松田明三郎」

 クリスマスのページェントで、  日曜学校の上級生たちは  三人の博士や  牧草者の群や  マリヤなど  それぞれの眼につく役を  ふりあてられたが、  一人の少女は 誰も見ていない舞台の背後にかくれて  星を動かす役があたった。「お母さん、  私は今夜星を動かすの。  見ていて頂戴ねーーー」  その夜、堂に満ちた会衆は  ベツレヘムの星を動かしたものが  誰であるか気づかなかったけれど、  彼女の母だけは知っていた。  そこに少女のよろこびがあった】。

 母と少女にはしっかりとした絆があり、少女はそのことに喜びを感じています。「わたしがいて、あなたがいる」。そのことをただ喜ぶことができるというのは、とても幸せなことだと思います。世の中、いろいろなことがあります。「・・・だったらなあ」と思うこともあります。「マリヤだったらなあ」「博士だったらなあ」、「もっと才能があったらなあ」「もっと人からほめられたいなあ」「もっとお金持ちだったらなあ」。たしかにそうしたことはあるわけです。才能や名誉やお金があればなあと、私たちはよく思います。しかしそうしたものがあれば幸せかというと、そういうことでもないわけです。やはり「わたしがいて、あなたがいる」ということや「わたしのことを知っていてくださる」ということは、とてもかけがえのないことであるのです。それはとても大きな喜びなのです。

 困難な世の中にあって、「正しい人」としてヨセフは生きようとしていました。ヨセフは良き人として生きようとしていました。ヨセフはマリアのように、ほめたたえられる人にはなりませんでした。しかし神さまはヨセフのことを見ていてくださり、ヨセフを豊かに祝福してくださいました。「神さまがわたしを見ていてくださる」「神さまがわたしと共にいてくださる」。ヨセフはそのことに感謝をして、その生涯を歩みました。ヨセフは「星を動かす少女」のようです。

 クリスマス、イエス・キリストは私たちのところにきてくださいます。私たちのかけがえのない友として、私たちのところにきてくださいます。イエスさまは私たちのことを知っていてくださり、私たちを愛してくださっています。私たちはイエスさまの愛のうちに生きています。


2024年12月21日土曜日

2024年12月15日

 2024年12月15日 待降節第3主日礼拝説教要旨

「マリアから生まれた御子」 小笠原純牧師

  ルカによる福音書 ルカ2:1-7節

 アドヴェントも第三週を迎え、クランツのロウソクも3つ、火がともっています。

 イエスさまが馬小屋でお生まれになるということは、それは神さまが定められたことでした。馬小屋で生まれると、どんないいことがあるでしょうか。イエスさまは馬小屋に生まれたので、お祝いにきたい人はだれでもお祝いにくることができたのです。羊飼いは夜、野宿をするという生活をしていました。ですからあまりきれいな格好をしていたわけではありません。羊飼いはあまりきれいな格好をしていなかったので、人々から嫌われていました。そんな羊飼いでありましたが、イエスさまは馬小屋で生まれたので、イエスさまの誕生のお祝いにくることができました。人間だけではありません。イエスさまは馬小屋で生まれたので、動物たちもイエスさまの誕生をお祝いにくることができました。

 黒人霊歌に「Mary had a baby」という歌があります。

 Mary had a baby       マリアはみどり子を授かった

 Mary had a baby, sweet child マリアはみどり子を授かった、美しい子を

 Mary had a baby       マリアはみどり子を授かった

 Mary had a baby       マリアはみどり子を授かった

 Mary had a baby, sweet child.   マリアはみどり子を授かった、美しい子を

 アメリカの黒人たちは自分たちと同じような、ふつうの少女であるマリアからイエスさまがお生まれになったことを喜びました。そしてイエスさまが苦しみ、悩み、呻いている自分たちのところにきてくださったことを喜びました。

 クリスマスの物語に出てくる人たちの多くは、力をもたない人たちです。マリアさんは少女ですし、羊飼いも人々から嫌われていた人たちでした。年をとった人たちや力をもたない人たちが多く、クリスマスの物語の中に出てきます。小さな者たちが互いに寄り添いながら生きているところに、神さまはイエスさまを送ってくださいました。

 イエス・キリストは弱くともしい私たちのところに来てくださいました。悩み、苦しみ、弱り果てる私たちのところに、イエス・キリストは来てくださいました。私たちがどんなに弱く小さな者であったとしても、イエスさまはいまも生きて、私たちに働いてくださっています。


2024年12月13日金曜日

2024年12月8日

 2024年12月8日 待降節第2主日礼拝説教要旨

「人知をはるかに超える愛」 菅根信彦牧師

  エフェソ 3:12-21節

 ★『新島襄と同志社教会』(加藤延雄・久永省一著・1987年)には、「1876年(明治9年)9月に海老名・宮川・徳富らの熊本バンド30名余りが同志社英学校に転校してきて、校内は俄かに活気を呈し、生徒の数も70名に達した」。「新島はここで機運がいよいよ熟したとみて、教会創立に踏み切ったのである」と記されています。そして、1876年11月26日にラーネッド教師宅において、市原盛宏を仮牧師として「西京第一公会」が誕生。次いで12月3日に新島宅において、新島襄を仮牧師にて「西京第二公会」(同志社教会)が設立します。さらに、同年12月10日に東竹屋町ドーン教師宅を借りて、本間重慶を仮牧師に「西京第三公会」(平安教会)が発足します。新島の「自由教育・自治教会両者併行」という理念が結実した時(カイロス)となりました。

 ★新島襄は、1864年、21歳の時に脱藩。アメリカに密航しハーディー家の支援で、フィリップ・アカデミー、アーモスト大学、さらに、アンドバー神学校で学んでいきます。10年後(明治7年)に31歳で帰国。日本にキリスト教主義大学の設立を使命と感じて、翌年1875年11月29日に同志社英学校を開校します。その後も教会や学校経営のためにその生涯を駆け抜けていきます。心臓病を患いながら、体に無理を重ねて、腹膜炎を併発し大磯の百足屋旅館に滞在、1890年1月23日に46歳と11ケ月で神のもとに召されていきました。

 ★新島が自分の死期をさとり、遺言を伝えた後、その日エフェソの信徒への手紙3章を小崎弘道に読んでもらいます。そして、最後の3章20節にきたときに、もう一度12節と20節を読むようにと指示します。そして、新島は「唯だこの力である。この力ある神によりて御業をなせ」と強く言ったとあります。自分の亡き後、人知を超える神の力によって全てを行って欲しいとの思いを伝えたと言われています。その胸中は漢詩「庭上の一寒梅」にも表れています。

 ★人知を超えた神の力を知ることとは「キリストの愛」を知ることです。その愛は私たちの考えを遥かに超えるものです。その愛を知る時に「大胆に神に近づくこと」(12節)が許され、最後の祝福のように、神の力に支えられ、栄光を神に帰していくことができるのです。新島もまたゴルゴダの丘のあの一本の十字架の極みにある「無償の愛」を知り、その恵みに応えて時代を駆け巡り、最後は神に栄光を帰す生涯を終えていったのだと思います。新島の「愛以てこれを貫く」との志を私たちも引き継いでいきたいと存じます。


2024年12月6日金曜日

2024年12月1日

 2024年12月1日 待降節第1主日礼拝説教要旨

「さあ、クリスマスの準備をしよう」 小笠原純牧師

   マタイによる福音書 24:36-44節

 アドヴェントに入りました。クランツのロウソクも一つ灯りました。イエスさまのご降誕をお祝いする準備をしていきたいと思います。

 師走はあわただしいですから、いろいろな事件も起こりやすいと言われています。空き巣だけでなく、交通事故や、詐欺事件なども多く起こります。そういうことが起こりやすい時期であるということを、しっかりとこころに留めて過ごしたいと思います。「目を覚ましていなさい」ということなのでしょうか。

 イエスさまは弟子たちに、世の終わり・終末がくるから、「目を覚ましていなさい」と言われました。そしてその時は、ノアの箱船の大洪水のように、また泥棒のように突然やって来ると言われました。

 イエスさまの時代は、世の終わり・終末がもうすぐに起こることと信じられていました。まあですから、「あなたがたも用意をしなさい」と言われると、「そうだなあ」と思えたわけです。でもイエスさまの時代から約2000年がたっているわけですが、まだ世の終わり・終末はきていない。ですから私たちはなかなか、イエスさまが言われることを、「そうだね。準備しなければね」というふうに思うこともできません。

 ただ世の終わり・終末がいつくるかわからないわけですが、私たちはみな神さまの前に立たされているということは、それはいつであろうと変わらないのです。私たちはみな、最後に、神さまの前に立ち、自分の生きてきた歩みを、神さまにお話ししなければなりません。それはイエスさまの時代も、私たちの時代もかわらないのです。

 今日からアドヴェントが始まります。イエスさまのご降誕をお祝いする準備をしたいと思います。クリスマスは人にやさしい気持ちを与えてくれると言われます。どんな人もクリスマスに人にやさしくしたくなると言われます。

 私たちはいつもいつも神さまの御心にしたがって歩むことはできないかも知れません。しかしこのアドヴェントのとき、神さまのことを中心において、イエスさまのご降誕をお祝いする備えをしたいと思います。

 神さまは私たちの救いのために、イエスさまを私たちの世に送ってくださいました。神さまは私たちに大切な独り子であるイエスさまを送ってくださいました。神さまの愛に感謝しつつ、喜びをもって、クリスマスを迎えたいと思います。