2016年6月12日 子どもの日合同礼拝 説教要旨
「神さまは愛」宇野稔牧師
(Ⅰヨハネの手紙4章16〜21節)
16節に「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です」という言葉があります。これこそキリスト者の証しです。私たちは、神に守られていることを当たり前のことのように思ってしまっていないでしょうか。神の愛を心に留めて生きているでしょうか。どんな時にも自分は神に愛されていると信じることが出来ていますか。
現実の私たちは、うまく行かなくなると不安になり、人生思い通りでないことに激しく動揺してしまいます。そして自分の無力を嘆いたり、他人の冷たさを恨んだり、社会の矛盾を数えて悲嘆にくれたりしてしまうのです。
その時、聖書は段落を変えて宣言します。「神は愛です」。私たちが生きて行くに当って、拠って立つべき事実がここにあるのです。時代や自分を巡る環境がどのようなものであれ、「神は愛です」という事柄は揺るがない事実だという宣言なのです。様々な状況に心折れることなく「神に愛されているという確信にとどまる」ことが奨められているのです。
18節で「愛には恐れがない」と語られています。私たちが神の愛を生きるならば、この世界のいかなるもの、いかなる人も恐れることはないというのです。その愛は神によって19節に示されている通りなのです。神の愛を生きる者は、イエスがモデルです。「他者を愛そう」とするのです。私たちは「神を愛している」とは云うけれど、兄弟が困っていても手も出さない人がいたとしたら、その人は本当の神の愛と出会っていないのです。愛される体験のない者が愛することが出来るはずはありません。さらに、目に見える兄弟を愛さない人が、目に見えない神を愛することな出来ません。
互いに愛し合うこと、それが神が旧約の初めから語って来られたことであり、イエス・キリストが生命を縣けて残された新しい掟なのです。 小さな子どもたちが成長して行くのも神の愛のしるしです。私たちはその神の愛の中に置かれています。子どもと共に神の愛に感謝し、その愛の中を生きる者として、互いに愛をもって歩みましょう。
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