2016年10月2日 主日礼拝説教要旨
「愛という権威」宇野稔牧師
(ルカによる福音書6章6〜11節)
エルサレム神殿で商人を追い出したイエスのところに、当時のユダヤの最高権力者たちが来て、「何の権威によってあんなことをしたのか」と尋ねます。自分たちの権力を公衆の面前で見せつけようとしたのでしょう。
その問いに答える代わりにイエスは「バプテスマのヨハネは何の権威で悔い改め運動を行ったか」と尋ねました。すると、彼らは困ってしまって、なぜならバプテスマのヨハネが正しいと認めると、ヘロデによる処刑をなぜ黙認したのかと責められ、彼は正しくなかったと明言すると彼を崇拝している人たちの恨みを買うことになるのです。彼らは「わからない」としか答えられなかったのですが、この問答でイエスは、彼らの権威の中味を明らかにしたのです。彼らが恐れているのは、神ではなく人だったのです。
イエスは「それなら何の権威でやっているのか私は云わない」と。ここで不思議な点は「お前たちは人の権威をかざしているが、私は神の権威で生きているのだ」と明言なさらず沈黙している点です。
そうです、イエスは権威を語るのでなく、権威を生きたのです。神が本当の権威であるということを言葉でなく、生きたのです。即ち神の愛です。イエスの権威は愛でした。愛は言葉ではなく生活でした。自分は権威者だと言葉で宣言するのではなく、苦しんでいる人と共に生きられたのです。
ただ愛を生きることで、愛こそが真の権威であることを証ししたのです。そこに人々は本当の権威を見出したのです。そして私達はこの真の権威によって支えられているのです。私達の最も悲しい時、孤独な時、辛い時、その私達に最も近くにいて下さったのが、イエス・キリストだったのではないでしょうか。
愛という権威に生きて下さったイエス・キリストは今も愛という権威に生きておられます。今日は、世界宣教の日・世界聖餐日の礼拝として守っています。京都教区でも韓日合同礼拝を守ります。世界中の教会が愛という真の権威で平和な世界の樹立に心を向け祈って参りましょう。
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