2019年9月10日火曜日

2019年9月1日

2019年9月1日 聖霊降臨節第13主日礼拝説教要旨
 「愛のない世界に生きたいですか」 小笠原純牧師
   ルカによる福音書 13:10~17節
法律で罰せられるか、罰せられないかということが唯一の基準であり、倫理的なことはあまり関係がないかのような、愛のない振る舞いをする政治家が増えてきたような気がします。わたしはどうしてそんな感じになったのかなあと思うときに、世の中自体が、神さまのことを忘れてしまっているからではないかと思います。そしてもっともっと神さまのことを宣べ伝えていかなければならないと、牧師としてわたしは思います。
イエスさまは安息日に18年間苦しんでいた女性を癒されました。会堂長は「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」と言って、イエスさまを非難しました。しかしイエスさまは会堂長を偽善者とののしり、反論しました。
安息日はもともと毎日働かざるを得ない人々が、一日、休むことができるための日として定められたものでした(出エジプト記20章8−10節)。安息日は神さまが与えてくださった愛に満ちた休息の日でした。だから神さまが喜ばれるようなことをしてあげたら良いのだ。18年間病気で苦しんでいた人をいやしてあげるのは、神さまが喜ばれることであり、安息日にふさわしいことだ。会堂長の言葉には、それは合理性があるかもしれないけれども愛がないと、イエスさまは言われました。
わたしはものごとを合理的に考えることがどちらかと言えば好きで、そしてそれゆえに自分のなかに愛が少ないということを感じることが多いです。ですからわたし自身もこの会堂長のように考えがちだなあと思わされます。「愛がない」のです。「愛がない」。しかし私たちは愛のない世の中には生きていけないのです。
ただこの会堂長たちはとてもえらいなあと、わたしは思います。イエスさまから「あなたたちには愛がないのだ」と言われ、そのことに対して会堂長たちは皆そのことを恥じました。彼らは恥じ入る素直さを持っていました。
讃美歌21の493番は「いつくしみ深い」という賛美歌です。私たちのイエスさまは「いつくしみ深い」方です。深い愛でもって、私たちを包んでくださる方です。私たちはイエスさまの愛によって生かされています。私たちはイエスさまが教えてくださった愛のある世界に生きたいと思います。私たちのこの世界が神さまの愛に満ちあふれた世界となりますようにと祈りつつ歩みましょう。







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