2019年9月23日月曜日

2019年9月15日

2019年9月15日 聖霊降臨節第15主日礼拝説教要旨
   「みんなで生きる」 小笠原純牧師
     ルカによる福音書 14:7~14節
「やどりぎは宿主には益がない」ということです。まあふつうは「人生持ちつ持たれつやないか」というわけですが、「やどりぎは宿主には益がない」のです。それでも宿主は、やどりぎを受け入れているわけです。まあ木のことですから、「わしに手があったら、やどりぎをのけるがな」と言うかも知れませんが・・・。
 招かれたときには「宴会では上席に座るな」と、イエスさまは言われました。また招くときには、お返しのできない人を招きなさいと言われました。箴言25章にも「身分の高い人々の場に立とうとするな。高貴な人の前で下座に落とされるよりも上座に着くようにと言われる方がよい」という言葉があります。
 しかしイエスさまは今日の箇所で、処世術を越えて、どのように生きるのかということを、私たちに問うておられます。処世術というのは、「このように生きれば、かどがたたない」という作法の極意というようなものです。「宴会では上席に座るな」というのは、処世術であるわけです。しかしイエスさまはその「宴会で上席に座るな」ということを、私たちに教えたかったわけではないのです。そうではなくて、私たちの心の中にある、「人よりも少しでも上にいて、下の者を見下してやりたい」というあさましい思いについて、「それはよくないだろう」と言われたのでした。イエスさまは処世術ではなくて、根本的な生き方に対する問いを、私たちに与えて下さっているのです。
 私たちは人生の中で、失敗をしたり、お世話になったすることがあります。また人の失敗を補ったり、また人のお世話をすることもあるでしょう。そうしたことをいちいち、「益だ、損だ」、「借りだ、貸しだ」というようなことを考えるのではなく、もっと大らかに、どちらにしても、【正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる】と思えるような歩みでありたいと思います。迷惑をかけてしまったときは、神さまがあの人に報いて下さるようにと祈る者でありたいと思います。また何かしてあげたときは、「復活するとき報われるから、得したなあ」と思えるような歩みでありたいと思います。
 互いに思い合って、祈りながら歩んでいきましょう。あまりこだわらず、神さまが良き道を備えてくださることを信じて、神さまにおまかせして歩んでいきましょう。神さまは大きな御手でもって、私たちの歩みを支えていてくださいます。









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