2019年11月24日 降誕前第5主日礼拝説教要旨
【収穫感謝日 合同礼拝】
「よく食べ よく眠る」 桝田翔希伝道師
マタイによる福音書 25:14~30節
神さまに与えられた恵みを感謝する収穫感謝の時にあって、私たちはどのように食べているのかを考えさせられます。食べ物とは、叩いたり刻んだり炙ったりした生き物の死骸なわけですが、「祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられない(藤原辰史、2014年)」のかもしれません。しかし、市場において売れるための「肥大化した物語」ばかりがもてはやされ、過剰なまでの清潔さを求め、生命を頂いているという感覚を感じることは難しくなっています。生産の現場と消費の現場には大きな開きがあるように思います。
「タラントンのたとえ話」では、主人が僕たち(奴隷たち)に財産を預けて旅に出ています。僕たちはそれを元手に商売をし、金額を倍にして主人を喜ばせますが、当時の慣習に従い預かったものを土に埋めた僕は叱られてしまいます。神さまから授かった才能を活用しなくてはいけないという解釈がよくされるたとえ話でありますが、1タラントン(一生分の給料)という金額とイエスが生きた当時の農民の状況に注目すると、また違った問いかけをされているように思います。この主人が扱っている金額というのは、あくどい商売をしなければ得ることができない金額でありました。そして当時のイスラエルでは、金持ちにより土地が次々と買い上げられ、土地を無くした農民は小作人として輸出用の作物を育てざるを得ない状況がありました。すなわち、少ない賃金で厳しい生活を余儀なくされた人たち、お金儲けのための作物を育てさせられるけれど、自分たちは食べるのに困ってしまう人たちが多くいました。イエスはこのような厳しい状況に置かれた人たちに、このたとえ話を語りかけていたのかもしれません。また、1タラントンを土に埋めた僕は、種は土にまかれると恵みをもたらすが、お金は土に埋めても何も実らせないという批判を、絶大な富と権力を持つ主人に訴えた「いのちをかけた内部告発者(山口里子、2014年)」だったのかもしれません。富と権力、搾取を前に生活が厳しくなっていく現実が突き付けられます。
今日の状況を見てみると、富と権力を前に多くの不条理に触れながら私たちは生きています。海外の環境を壊しながら生産される食べ物、命を食べる実感を無くしかけている消費者。どこかで後ろめたさを感じながら、私たちは「肥大化した物語」を信じているのかもしれません。しかし、恵みにより私たちは生かされているということを忘れてはいけないのです。富と権力を前に、「恵み」を感じながら、私たちは食べ物にどのような物語を添えることができるのでしょうか。
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