2020年3月15日 受難節第3主日礼拝説教要旨
「みんなが去っても、わたしは去らない」 小笠原純牧師
ヨハネによる福音書 6:60~71節
ヨハネによる福音書が書かれた時代は、ユダヤ教との決別という、クリスチャンとしてとてもはっきりとした決断をしなければならない時代でした。しかしユダヤ教から独立するということは、なかなかむつかしい問題がありました。ユダヤ教はローマ帝国のなかで、活動することのできる宗教と認められていました。ですからキリスト教がユダヤ教の一派であるのであれば、キリスト教は自由に活動することができるわけです。しかしユダヤ教から独立すると、ローマ帝国から認められていない宗教ということになるので、活動することが非常に困難になるのです。ですからキリスト教の中でもユダヤ教に留まる人たちと、ユダヤ教から独立する人たちに分かれるという困った出来事が起こりました。そうした事情がこの箇所には反映されています。
使徒ペトロたちは多くの弟子たちがイエスさまから離れ去ったときに、「みんなが去っても、わたしは去らない」と言ったのです。しかしイスカリオテのユダだけでなく、他の十二弟子たちも結局、イエスさまから去っていくことになりました。
「『みんなが去っても、わたしは去らない』とおまえはりっぱなことを言っていたではないか。あれは嘘だったのか。みんなの前で格好のいいことを言っていただけなのか。おまえは友人を大声で裁いていたではないか。『おまえは去っていくのか。わたしは去らない』と」。以前、私たち自身がそうであったように、人は冷酷で容赦のない言葉を言い捨てて去っていくのです。
しかしそのときに、私たちは「みんなが去っても、わたしは去らない」とのイエスさまの御言葉を聞くのです。そうした惨めで弱く、また冷酷で容赦ない私たちのために、イエス・キリストは十字架についてくださったのです。私たちの罪をあがなってくださったのです。そして「みんなが去っても、わたしは去らない」と、私たちに慰めを与え、私たちの隣人となってくださるのです。イエスさまは私たちと共にいてくださいます。「みんなが去っても、わたしは去らない」。わたしは決してあなたを見捨てることはない。だから安心して行きなさい。あなたの罪は赦された。
イエス・キリストは私たちと共に歩んでくださいます。イエスさまは復活されたあと、去っていった弟子たちをまた呼び集めてくださいました。私たちは傷つけあったり、去っていったりする弱さをもつ者ですけれども、イエスさまはそんな弱い私たちをまた呼び集めてくださいます。私たちが共に和解し、手をとって歩み始めることができるようにと、私たちを呼び集めてくださいます。イエス・キリストと共にまた歩み始めましょう。
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