2020年4月4日土曜日

2020年3月29日

2020年3月29日 受難節第5主日礼拝説教要旨
「川の流れのように」 桝田翔希伝道師
マルコによる福音書4:26~32節
 3年間の任期が終わり転任することとなりました。この間、多くの方々に助けていただき感謝しています。本当に楽しい3年間でした。この日にあって神の国が説明されている「『からし種』のたとえ」とされる箇所を選ばせていただきました。旧約聖書の中で神の国を連想させる「鳥が巣をつくる」豊かな木のイメージがあり、それらは樹高が30メートル以上にもなる立派な「レバノン杉」を通して描かれています。しかしイエスは、そのような樹木ではなく、そこらへんに生えていて、しかし普段の生活を養ってくれる、「からし種の木」を神の国のイメージとして用いられました。人間の思いや理想を越えた場所にある神の国の姿を、挑戦的に提示しているのかもしれません(山口里子、2017年)。
 1911年に創立35年を覚えてラーネッド先生が平安教会に書いた手紙が教会に残されています。平安教会は第三公会として1876年に結成されましたが、この二週間前には、宣教師のラーネッド宅にて第一公会が結成されています。後に第一公会は合併となり平安教会が形成されました。手紙の中には同じく宣教師であるディビス先生が、エゼキエル書の47章に基づき説教をしたことが記されています。エゼキエルがエルサレムの神殿から水が湧き出て、東に流れる幻を見ています。その水は死海の水でさえきれいにして、生き物にあふれさせました。ラーネッド先生は「当時は本当に小さな教会でした。エゼキエルが見た幻のように、川の始まりのようなものでした。しかし、わたしは豊かさの中にある教会を見ることができ、感謝でいっぱいです。」と書いておられました。キリスト教禁制が解かれて間もない京都での伝道は困難を極め、時にはうっとうしがられ、辛く、不安で仕方なかったと思います。しかし、20人から始まった第三公会は川の流れのように大きくなっていったのです。
 私たちは社会で生きる中で、どうしても物質的な豊かさを求めてしまいます。しかし今日の状況は人を人とは思わないものへと変わっています。しかし、そのような常識を超えたところにある「神の国」をイエスは語りました。私たちはどのように生きるべきなのでしょうか。川のほとりに植えられた、からし種の木のようでありたいと思うのです。そして、長い歴史の中で様々な困難の中にあっても、京都の地にあって、多くの鳥が集うように、豊かに人が交わる平安教会の歩みが、これからもますます祝福されますように祈ります。

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