2020年10月11日 聖霊降臨節第20主日礼拝説教要旨
「勇気を出せ」 村山盛葦牧師
コリントの信徒への手紙2 5:1-10節
同胞ユダヤ人との軋轢、国家との軋轢、キリスト教会の問題、様々な困難(難船、飢え渇き、寒さ、盗賊など)を使徒パウロは経験していました。さらに持病を患い健康状態も良くありませんでした。「土の器」の脆さ・弱さ・限界を嫌というほど思い知らされたと思われます。しかしパウロは、四方八方から困難がふりかかってきても、決してへこたれなかった。それは、神が保証として与えてくださった「霊」(プネウマ)が生きて働いていたからです。
霊(プネウマ)は、大気中や宇宙、そして人間の体内をダイナミックに活動し作用を及ぼす実在物として信じられていました。中国思想や東洋医学に出て来る「気」と似ているかもしれません。気の流れが良いとか、悪いとか言いますが、私たちにも馴染みがあります(「合気道」の「気」、「気合を入れる」の「気」、「元気」の「気」、「病気」の「気」など)。パウロは手紙の中で約120回もプネウマという用語を使い、キリスト信仰と神の働きとの関係を述べています。プネウマは、私たち信仰者の中で働き、共にうめき導いてくれる「神のエネルギー」なんです。ただ、そうは言うものの、私自身を振り返ると、霊的体験やドラマチックな回心体験もありません。むしろ、日常の苦労や辛さ、時には恐怖や怒り、さらには「いずれ人は死ぬ」という現実を見つめると、私の中に神のエネルギーなど、どこにあるのかと思ってしまいます。
ナウエン神父は、「愛をほとんど経験したことがないとしたら、どうやって愛を選ぶことが出来るでしょうか。機会あるごとに、愛の小さな一歩を踏み出すことで、私たちは愛を選びます。微笑み、握手、励ましの言葉、電話をかける、カードを送る、抱き締める、心のこもった挨拶、助ける仕種、注意を払う一瞬、手助け、贈り物、財政的な援助、訪問、これらのものはみな、愛に向かう小さな一歩です。それぞれの一歩は、夜の闇の中で燃えている一本のろうそくのようなものです。それは闇を取り去ることはありませんが、闇の中を導いてくれます。」(『今日のパン、明日の糧』213頁)と語っています。
私たちは、滅びゆく「地上の住みか」である幕屋、日々衰えていく「外なる人」、「土の器」に生きていますが、しかしそのただなかに偉大な神の宝・霊が与えられているのです。それは、目の前の闇を完全には取り去ることはできないけれども、闇の中を共に導いてくれる。今日の箇所でパウロは、「わたしたちはいつも心強い」(6節、8節)、と繰り返して述べていますが、「心強い」という単語の、もともとの意味は、「元気である、勇気がある」です。小さな一歩、小さな勇気、灯の霊が、すでに神から与えられている。そこに私たちの存在を賭けて行きたいと思います。主イエスに喜ばれる者でありたいから、それぞれの地上の住みかで小さな一歩・勇気を積み重ねていきたい。それは終末の報いにつながるのですから。
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