2021年10月10日 聖霊降臨節第21主日礼拝説教要旨
「神様が望むこと」 梅田玲奈神学生
テサロニケの信徒への手紙(1) 5:16ー18節
今年の7月から、派遣神学生として平安教会に通っています。梅田玲奈と申します。
テサロニケの信徒への手紙(一)5章16節~18節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」この箇所は、私の愛唱聖句です。 しかし私たちは、いつも喜び、祈り、感謝することが出来ているでしょうか。
このテサロニケの信徒への手紙(一)を書いたパウロという人物は、当初パリサイ派としてキリスト者を迫害する立場にありました。しかしイエスからの呼びかけによって、イエスこそが救い主であるという信仰を持ちました。そしてイエス・キリストの福音を宣べ伝えるため、伝道旅行を行います。
テサロニケという地も、パウロが伝道旅行の際に立ち寄った町です。港町として様々な文化を持った人々が混在する地でした。パウロから福音を聞いたテサロニケの人々の中には、信じた人々もいましたが、反抗した人たちもいました。反抗した人たちによって暴動が起こされ、パウロはその地を追われています。(使徒言行録17章)パウロは短い期間しかテサロニケに滞在していません。しかし伝道は実を結び、テサロニケにいる信仰者によって教会が出来ました。そのテサロニケ教会に宛てたのが、このテサロニケの信徒への手紙(一)です。
「神様は私たちに喜び、祈り、感謝することを望んでいる」とあります。今、神様は私たちに期待を託した状態なのです。つまり、現状は完了していません。神様は、私たちに「イエスにおいて=イエスと共にある」ことで喜び、祈り、感謝する姿勢を求めておられます。同時に神様は私たちが、弱くて脆いということも知っておられます。だからこそ、望み、期待を託すという形を示してくださっているのです。
私たちの生きる社会は、状況によって価値や判断が変動します。しかし神様が私たちに望んでいる、キリスト者としての姿勢というのはパウロの時代でも、今私たちが生きる時代、これからの時代においても変わらないのです。
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