2021年10月8日金曜日

2021年10月3日

 2021年10月3日 聖霊降臨節第20主日礼拝説教要旨

 「やっぱりイエスさま、信じます。」 小笠原純牧師

    マタイによる福音書 21:18ー32節

 イエスさまは、二人の息子のたとえを祭司長たちに話されます。ある人に二人の息子がいた。兄に「ぶどう園で今日、働いてくれ」というと、そのときは「いやだよ」と言ったけれども、後から考え直して、ぶどう園に働きに出かけた。弟にも「ぶどう園で今日、働いてくれ」と言うと、弟は「わかりました」と言ったけれども、実際は働きに出かけなかった。徴税人や娼婦たちの方があなたたちよりも先に神さまの国に入るだろう。あなたたちは洗礼者ヨハネの言うことを信じず、彼の言葉に耳を傾けることはなかった。しかし徴税人や娼婦たちは洗礼者ヨハネの言葉に耳を傾け、悔い改めたのだから。しかしあなたたちはその様子を見ても、後で考え直して、洗礼者ヨハネを信じようとはしなかった。

 悔い改めるということは、なかなかむつかしいことです。とくに自分は正しいと思っているときに、自分が悪いことをしているということに気づくということは、とても困難なことです。私たちもよく自分が正しいと思って、人を裁きます。自分が正しいと思っているわけですから、なかなか悔い改めることはありません。自分は立派な信仰者だと思っています。しかしイエスさまは、あなたたちに信仰があると思うのであれば、あの山に向かって、「立ち上がって海に飛び込め」と言ってみればわかると言われます。

 私たちも祭司長たちと同じように、自分が正しいと思い込んで、自分が悪いということなど、頭の隅にも思い浮かばないということもあるわけです。なかなか信じることができない。神さまから「わたしのことを信じなさい」と言われても、「いやです」としか言えない私たちがいるのです。しかしそうした私たちにも「後から考え直す」機会が備えられるのです。

 謙虚な思いになって、「やっぱりイエスさま、信じます」と言う者でありたいと思います。信じるのに遅く、心の中に高慢な思いを持つことが多い私たちです。イエスさまから声をかけられても、「えー」とか「なんでー」というような思いになってしまうことの多い私たちです。イエスさまの御言葉に聞き従わず、自分勝手なことをして、迷子になってしまうことの多い私たちです。しかし後から思い直して、「やっぱりイエスさま、信じます」と言う者でありたいと思います。



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