2021年11月7日 降誕前第6主日礼拝説教要旨
「神さまから与えられた命を生きる。」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 12:18ー27節
今日は召天者記念礼拝です。平安教会に連なる人々が共に集い、神さまを賛美する礼拝です。私たちの教会のメンバーの方々は、ご家族の方々が思っておられる以上に、教会の礼拝に出席してくださることをとてもうれしいことと思っておられると思います。みなさんの教会だと思って、またぜひ教会の礼拝にいらしてください。お母さま、お父さまの信仰を受け継いで、神さまにより頼んで歩んでくださればと思います。
イエスさまの時代は、ファリサイ派とかサドカイ派というような宗教的なグループがありました。サドカイ派の人々は「復活」はないというふうに考えていました。イエスさまの時代は、レビレート婚というのがありました。夫が亡くなったときに、その兄弟と結婚をするという結婚です。7人の兄弟の妻となった女性は、復活のとき誰の妻となるのか。サドカイ派の人々は、この制度の話をすることによって、復活はないのだと言うわけです。サドカイ派の人々はイエスさまを論破することにだけ心を向け、高慢になってしまい、大切なことを忘れてしまっていました。
イエスさまは「『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか」と言われました。神さまが私たちひとりひとりを愛してくださっている。神さまはアブラハムを愛してくださり、命を与え、その人生を祝福してくだった。神さまはイサクを愛してくださり、命を与え、その人生を祝福してくださった。神さまはヤコブを愛し、命を与え、その人生を祝福してくださった。神さまはその七人の夫の妻となった女性を愛し、命を与え、祝福してくださる。その女性は復活があるかどうかを証明するための道具として存在しているわけではない。
神さまがあなたに命を与え、神さまがあなたに能力を与え、神さまがあなたに安心して生活できる環境を与えてくださっているということを忘れてしまっている。あなたは神さまが与えてくださった命を、神さまの思いにそって、誠実に生きていくことを、忘れてしまっている。イエスさまはサドカイ派の人々にそのように言われました。
私たちは神さまによって命を与えられ、そしてその命を生きています。神さまによって愛され、かけがえのない大切な人として、私たちは生かされています。そのことにしっかりとこころを向けて歩んでいきたいと思います。
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