2022年3月5日土曜日

2022年2月27日

 2022年2月27日 降誕節第10主日礼拝説教要旨

 「救ってくださいと、なぜ言えないんだろう。」 

                小笠原純牧師

   マルコによる福音書 4:35-41節


 川上弘美の『センセイの鞄』は、37歳の女性と67歳の男性の恋愛小説です。30歳、年が離れていて、元教師と教え子という設定です。素直に「大好き」と言うことができれば、まあ良いわけですが、なかなかそういうわけにもいかないというようなことが、恋愛には起こってきます。恋愛だけでなく、素直に自分の気持ちを明らかにするということは、いろいろな場面でむつかしいということが出てきます。気恥ずかしかったり、もっと自分のことをわかってほしいと思ったり、口から出てくる言葉が、素直な思いとは違って、相手を非難する言葉として出てくる場合もあります。

 ガリラヤ湖で舟が沈みそうになったときに、弟子たちは「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」(マルコ4章38節)と言います。マタイによる福音書8章25節では「主よ、助けてください。おぼれそうです」となっています。わたしはマタイによる福音書で弟子たちが語った「主よ、助けてください」のほうが良いと思います。しかしマルコによる福音書は「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」となっています。「私たちが滅びるのを、あなたは気にならないのか」というような感じです。

 現代の日本人は神仏に頼ることが苦手なだけでなく、人に頼ることも苦手であると言われています。あまりに自己責任が強調されるために、「助けてほしい」という声をあげづらい社会になっています。困っているときに、「助けてください」と言うことのできない社会は、やはりさみしい社会だと思います。

 「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」。「先生、助けてください」と素直に言うことのできない弟子たち。そうした私たちの弱さを知りつつ、イエスさまは私たちを助けてくださいます。イエスさまはわたしのように心の狭い方ではないですから、「助けてください」と言うことのできない私たちであっても、イエスさまは大いなる御手でもって、私たちを助けてくださいます。

 私たちは大いなる力のある方の御手のうちを歩んでいます。風や湖さえも従わせることができるイエスさまが私たちと共におられます。素直でもない、つぶやくことも多く、邪な思いをもつ私たちですけれども、私たちを愛し、私たちを救ってくださるイエスさまがおられます。安心して、私たちの救い主イエス・キリストにお委ねして歩んでいきましょう。


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