2022 年 4 月 17 日 復活節第1主日礼拝説教要旨
「安心だね。よかったね」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 16:1-8 節
イースター、おめでとうございます。主イエスのご復活を、こころからお祝いいたします。
小説家の芥川龍之介は「蜜柑」という短編を書いています。この「蜜柑」は、芥川が経験したちょっと恥ずかしい出来事です。自分が尊大になっていたことが明らかにされる出来事でした。しかし芥川はその出来事を書き記しています。
【婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである】(マルコ16章8節)。この文章は私たちを不安にさせる迫力のある文章です。なんでこんなことを書いているのだろうかと思わせる文章です。そしてそのあとに続く出来事も、イエスさまの復活を信じることができなかったという出来事です。マルコによる福音書は、信じることのできない弱い弟子たちを描いています。それは人間とはそういうものだからです。信じることのできない弱い存在が人間であるのです。
そのことをマルコによる福音書は隠そうとしませんでした。マグダラのマリアや弟子たちからすれば、恥ずかしい話であり、「ちょっと書かんといてほしい」と思える出来事です。マルコによる福音書は、私たちを不安にさせ、なおかつマグダラのマリアたちや弟子たちにとって恥ずかしい話があえて書き記しています。そしてイエスさまの復活の出来事が、私たちの恐れや不信仰、私たちの愚かさを越えて、私たちに働く神さまの出来事であることを告げています。
私たちはいろいろなことで恐れたり、不安になったりします。神さまのことが信じられなくなることがあります。悲しい出来事やつらい出来事を前にして、どうしようもなく不安に思えるときもあります。しかしそうした弱さを抱える私たちのところに、イエス・キリストは来てくださり、私たちに「大丈夫だよ。わたしがあなたと共にいるから」「わたしは復活して、あなたのところに帰ってきたから」。そのように、イエスさまは私たちに告げてくださるのです。
私たちの恐れや不安、私たちの弱さを越えて、イースターの出来事は私たちを平安と希望へと導いてくれます。イエスさまが死に打ち勝って、よみがえってくださった。私たちのところに帰ってきてくださり、私たちに平安と希望を与えてくださった。だから私たちは「安心」なのです。「ああ、よかった」。そのように思えるのです。
イースター、「安心だね。よかったね」との思いをもちつつ、よみがえられたイエスさまと共に歩んで行きましょう。
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