2022年7月17日 聖霊降臨節第7主日礼拝説教要旨
「そんなに格好つけなくてもいいよ。」 小笠原純牧師
マルコによる福音書 8:14-21節
私たちは自分のことを良く見せたいという思いをもちます。プリクラもそうですし、ファッションなどもそうでしょう。自分の楽しみとか、自分の生活を生き生きするものにするということであれば、自分を良く見せたいという思いも、いい方向に働いていくことだと思います。『ジャパン ファッション クロニクル インサイトガイド』(講談社エディトリアル)という本を読んでいますと、わたし自身はそんなにファッションに興味のある人間ではないですけれども、なんとなく楽しい気がします。自分を生き生きと装っていくことの力強さというものを感じます。
ただそうした自分自身のなかのことであれば良いですが、それが高じて、自分を良く見せたいがために、人を蔑むような気持ちになってくるのは、やはりよくないことです。ファリサイ派の人々やヘロデ派の人々がおちいった罠というのは、そういうものだと思います。とくにファリサイ派の人たちは、はじめは純粋に神さまのことを思っていたわけです。そして周りの人たちを神さまへと導きたいと思っていました。しかしそうした歩みがいつのまにか高慢な思いへと変わっていき、人を裁くことへと向かっていきました。人は弱いものですから、いろいろな誘惑に負けてしまい、気づかないうちに高慢な歩みになってしまうということです。そうしたことを、イエスさまは「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と言葉で、戒められたのでした。
イエスさまは「五千人に食べ物を与える」「四千人に食べ物を与える」という奇跡をとおして、私たちが神さまにより頼んで生きていくことの大切さを教えてくださいました。自分が格好良くなければならないのではなく、神さまにより頼んで生きることが大切なのだと、イエスさまは言われました。神さまはすべてのことに先立って、私たちを愛してくださっている。私たちがかっこいいから、神さまは私たちを愛してくださるのではありません。私たちがなんでもできる優秀な人であるから、神さまは私たちを愛してくださっているのではありません。神さまはただ、神さまの深い愛のゆえに、私たちを愛してくださっているのです。
神さまが私たちを愛してくださっている。神さまの哀れみのなかに、私たちは生きている。ありのままのわたしを愛してくださっている。神さまに感謝しつつ、イエスさまに従って歩んでいきましょう。
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