2022年7月9日土曜日

2022年7月3日

 2022年7月3日 聖霊降臨節第5主日礼拝説教要旨

 「落ち着いて宣べ伝える」 小笠原純牧師

   マルコによる福音書 6:1-13節

 「レヴィナスの『顔』という概念は、事象としてはこのような、私に道徳的対応を求めるものとしての他者の、対面の場での現出だといって良い。」(佐藤義之『レヴィナス』、講談社学術文庫)というのは、お互いに顔を合わすことによって、お互いに道徳的対応をすることができるということなのでしょう。

 わたしは電話で話しをしたときは、あまりいい印象をもたなかったけれども、会ってみるとふつうに話をすることができたという体験をとおして、いちいち過剰に反応することなく、穏やかな気持ちでいることの大切さを感じました。「あの人はいやな人だ」とすぐに思い込むのではなく、自分が落ち着いて、穏やかに生きていくことの大切さがあるような気がしました。

 イエスさまは弟子たちに、「しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」と言われました。弟子たちも誤解を受けることもありますし、不本意な扱いを受けることがあります。しかしそうしたことにいちいち腹を立てるのではなく、もうだめだと思ったら、その地を去りなさいと、イエスさまは言われました。「足の裏の埃を払い落とし」というのは、すこし呪術的な感じがしますが、「あなたたちとはもう何の関係もないよね」ということだと思います。ただそうしたことをあしざまに、直接、言うということではなく、自分たちの意思表示として、たんたんと行なうということです。いろいろな不快な出来事も、それはもうそれは神さまにお委ねするということです。

 いつまでもいつまでも、「あいつのことはぜったいゆるさない」「思い出すだけで、めちゃくちゃ腹が立つ」「あいつのことは、これからも呪い続けていく」というようなことではなく、足の裏の埃を払い落として、「はい、もうこのことは、これで終わり」ということにしなさいと、イエスさまは弟子たちに言われました。いつまでもいつまでも、怒りに振り回されるのではなく、落ち着いて宣べ伝えなさいと、イエスさまは弟子たちに言われたのです。

 イエスさまは私たちに「落ち着いて生きていきなさい」と言われます。健やかな気持ちをもって、神さまの御言葉に従って歩んでいきなさい。神さまはあなたのことを愛してくださり、あなたに良き道を備えてくださいます。怒りに支配されることなく、神さまの愛を感じて歩んできなさい。

 イエスさまの御言葉に従って、健やかな気持ちになって歩んでいきましょう。


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