2022年7月1日金曜日

2022年6月26日

 2022年6月26日 聖霊降臨節第4主日礼拝説教要旨

 「やさしさと良識のある社会に」 小笠原純牧師

   マルコによる福音書 5:1-20節

 私たちは誤解とか思い違いに支配されることがあります。そして人を墓場に追いやってしまうというようなことがあります。ある意味、自分も含めて「人って、恐ろしいなあ」と思います。汚れた霊に取りつかれていた人が墓場へと追いやられていたのは、イエスさまの時代ですから、昔々の時代です。ですから「そんなのは昔のことだ」と思いたいところですが、そうでもありません。私たちの時代にあっては、ハンセン病の歴史というのは、ある意味「人を墓場に追いやった」歴史であると思います。ハンセン病が治る病気であることがわかったにもかかわらず、日本はハンセン病患者に対する隔離政策を取り続けました。 

 高山文彦『火花 北条民雄の生涯』(角川文庫)という本があります。北条民雄は『いのちの初夜』という小説を書いています。北条民雄はハンセン病を患いながら、小説を書き、そして二三歳の若さで天に召されました。北条民雄は川端康成に師事し、小説家になります。川端康成は北条民雄から送られてくる原稿に目をとおし、心を配りながら励ましていきます。北条民雄の書いた作品に対してだけでなく、その北条民雄の生活などについても、川端康成は心を配ります。

 汚れた霊に取りつかれた人が家族から離れて墓場に住んでいたように、ハンセン病を患った北条民雄は家族から棄てられ、ハンセン病の施設でその生涯を終えました。北条民雄の父や母は、自分の息子がりっぱな小説を書いていることを人に告げることもできません。ふつうであれば自慢することができるわけですが、ハンセン病のゆえに告げることができないのです。北条民雄の家族には家族の悲しみがあるわけです。自分たちの身内を守るために、息子を棄てざるを得なかったのです。社会全体が汚れた霊に取りつかれているような感じがします。

 北条民雄の生涯や汚れた霊に取りつかれた人のことを思う時に、悪霊にとりつかれたような社会にならないようにしなければと思います。人を墓場に追いやるような社会にならないようにしなければと思います。ときに私たちは「悪霊に取りつかれているのは、だれなのだろう。自分ではないのか」ということを考えてみなければなりません。

 やさしいこころをもって、そしてまた冷静に物事を見定める落ち着きをもって、歩んでいきたいと思います。イエスさまに汚れた霊を追い出してもらった人が、落ち着いて、イエスさまの愛を人々に我慢強く宣べ伝えていったように、私たちも良き社会を求めて、歩んでいきましょう。


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