2023年3月24日金曜日

2023年3月19日

 2023年3月19日 受難節第4主日礼拝説教要旨

 「救われた人々ーーー12年間の祈りとこれから」 

               鈴木祈牧師

 マルコによる福音書 5:34-43節

 ■マルコ福音書5章、ヤイロの娘とイエスの服に触れる女の話。出血の止まらない病気の女がいました。人前に出ることもゆるされず隔離された12年間。女は律法を破り人々の間に紛れ込んできた。信仰深い会堂長ヤイロには一人の娘がいました。その信仰ゆえに血の止まらない女とは同じ場にいることすらできなかったヤイロ。妻が娘の出産において血が止まらない病気になったとしたら家に置いておくことはできなかった。愛しているかどうかではない、律法を守る生き方、それが会堂長の務めであるから。生きながらにして妻を失っているヤイロ、今度は娘が死にそうになります。娘まで取り上げないでくれと祈りながらイエスさまの所へ走ったことでしょう。そんなヤイロとイエスさまの所へ、家族のもとに帰りたい一心で来た女。ヤイロも女もイエスさまの元に来て、そこで繋ぎ合わされました。しかし両親には同時に「娘の死」が知らされます。

 ■イエスさまが両親と一緒に娘の所へとゆき「起きなさい」と言われると娘はすぐに起き、歩き出します。「もう、12歳になっていたから」、12歳とは第二次成長期、初潮を迎える頃。娘は成長過程において血が出る経験を初めてします。自分も母と同じく追い出され、父親とも会えなくなるという恐れ。病気と別れの恐怖から、ついに死んだふりをします。ウソという死ぬほどの苦しみの中にいた娘に、イエスさまは安心できる状況を作り出し自分の言葉で話しだせるようにされました。そして娘と母と父は新しく出会い直すことができたのです。

 ■血の汚れ意識も、律法や掟による人々の分断も、愚かな事です。愚かな決まりによって人々が引き裂かれることをイエスさまは許しません。ヤイロは律法を守るために愛する人を失っていました。その考えを娘にも知らず知らずのうちに植えつけてしまっていたために、娘までも失いかけました。ヤイロは妻の病気が治ったから一緒に帰ってきたのではありません。病を抱えたままの妻であっても、そして娘が生死にかかわらず、母娘を出会わせ、三人で一緒にこの時を過ごそうと、ヤイロの心こそが変えられたのです。イエスさまの行なった奇跡は、病気の治る奇跡でも、死んだ者が生き返る奇跡でもなく、最も難しい、人の心が変えられるという奇跡でした。

 ■私たちにも、恐れを乗り越え、掟に従う以上のいのちの出会いを重ねることが呼びかけられています。大人たちの愚かな行いは子どもたちへと伝播し、その生き方を狭めてしまいかねません。けれども、私たちに与えられている自由な信仰は、私たちの考えが変わることを拒みません。

 ■多くの痛みのある12年間でした。病も災害も、戦争も、死も、別れも、その悲しみや後悔はうすれても消えることはないでしょう。それでも祈りが、私たちに変化という奇跡をおこしてくれます。嘆きと悲しみの傍にこそおられるイエスさまの歩みを心にとめ、いつも私たちの傍らにおられるイエスさまと共に祈り続けてまいりましょう。


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