2023年6月25日 聖霊降臨節第5主日礼拝説教要旨
「神さまの愛がいっぱい。」 小笠原純牧師
ルカによる福音書 15:1-10節
谷川嘉浩、朱喜哲、杉谷和哉の「ネガティヴ・ケイパビリティで生きる」(さくら舎)という本を読みました。「『わからなさ』を抱えながら生きる方法を気鋭の哲学者たち、熱論」とあります。聖書を読んでいますと、どうもよくわからないとか、ちょっといまのわたしには信じられないというようなこともあるかと思います。わたしも長年聖書を読んでいますが、よくわからないこともあります。でも細かいところにとらわれるのではなく、よくわからない部分もあるけれども、でも全体として信じているというので良いと思います。「ネガティヴ・ケイパビリティで生きる」というのは、まさに信仰の場面で発揮されるような気がします。
百匹の羊のうち、一匹を見失ってしまった。九十九匹を野原に残して、見失った一匹を探し回るだろう。見つけることができたら、とってもうれしいだろう。その羊を担いで家に帰り、友だちや近所の人達を呼び集めて、「見失った一匹の羊が見つかったので、一緒に喜んでください」と言うだろう。神さまも同じように、神さまのところから離れてしまった一人の人が悔い改めて、神さまのところに帰ってきたら、とってもうれしいと思う。悔い改める必要のない九十九人の正しい人よりも、罪人が悔い改めたということのほうが、神さまにとってはとってもうれしいことだと思う。そのようにイエスさまは言われました。
今日の聖書の箇所には、「喜」という感じが、何度も出てきます。喜びに満ちている聖書の箇所であるわけです。イエスさまはうれしいこと出来事を、一緒に喜ぶということは大切なことなのだと、私たちに言っておられます。
自分だけがなんか損をしているのではないかというような思いになるときがあります。そして人を裁いてみたり、不平を言い出してみたりするのです。「わたしが野原に残されているのは、いかがなものか」「なんで見失った一匹の羊だけを、イエスさまは探し回るのか。わたしのことはかまってもらえないのか」。
しかし私たちは「大きな喜びが天にある」「神の天使たちの間に喜びがある」、そうした出来事を共にしているということを思い起こして、神さまと一緒に、イエスさまと一緒に喜ぶものでありたいと思います。皮肉を言ったり、人を蔑んだりすることなく、神さまと一緒に、イエスさまと一緒に、喜ぶものでありたいと思います。