2024年8月30日金曜日

2024年8月25日

 2024年8月25日 聖霊降臨節第15主日礼拝説教要旨

「光指す方へと歩む」 小笠原純牧師

  ヨハネによる福音書 8:12-20節

 イエスさまはご自分のことを、いろいろな象徴的なもので言い表されます。今日の聖書の箇所では、「わたしは世の光である」と言われ、イエスさまに従って生きる人は、暗闇の中を歩むことがなく、誤った道を歩むことがないと言われました。

 キリスト教はユダヤ教からの一つの派であったわけですが、ユダヤ教から独立をすることによって、イエスさまを慕っているユダヤ教から、キリスト教という一つの宗派になります。ユダヤ教はローマ帝国の公認宗教でしたので、そこから独立するということは、異端宗教になるということを意味しました。そのためキリスト教のなかに留まるのではなく、ユダヤ教に帰っていくという人たちも出てきました。

 初期のクリスチャンたちは迫害を受けることになります。クリスチャンであるのか、ユダヤ教に戻っていくのか。ユダヤ教に戻っていくことのほうが、平穏無事な感じがします。その方が光が指している道であるような気がします。しかし初期のクリスチャンたちは、イエスさまの「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」という言葉を信じて、イエスさまに従いました。イエスさまの言葉を信じ、こちらが光さす方であると信じて、初期のクリスチャンは歩みました。

 フォトジャーナリストのユージン・スミスは、水俣病患者に寄り添い活動をしました。写真集『MINAMATA』に収録されている「入浴する智子と母」が代表作だと言われています。ユージン・スミスの写真でもう一つ、有名な写真は「楽園への道」といわれる作品です。庭で遊んでいる男の子と女の子が、光が差すほうへと歩み始めるという写真です。「この「楽園へのあゆみ」は、そのころ世界最大の自動車会社だったフォード社の広告に使われて、アメリカじゅうの人びとの目にふれることになりました。暗いところから明るいところへ、まさにあゆみだそうとしている子どもたちの写真は、ユージンとおなじように、戦争へのいやな思い出をわすれることができずにいた人たちに、明るい未来を感じさせました」(土方正志『ユージン・スミス 楽園へのあゆみ』、偕成社)(P.32)。

 私たちもまたいろいろな困難に出会うときがあります。気が滅入ってしまい、もうどうでもいいわと思う時もあります。光が差すとは思えないような気になる時もあります。しかし世の光であるイエスさまは、私たちの歩む道を照らしてくださり、私たちに良き道を備えてくださいます。世の光であるイエスさまを信じて、イエスさまが導いてくださる道を歩んでいきましょう。


2024年8月24日土曜日

2024年8月18日

 2024年8月18日 聖霊降臨節第14主日礼拝説教要旨

「これからは、もう罪を犯してはならない」 小笠原純牧師

  ヨハネによる福音書 8:3-11節

 罪を悔いるということは、新しく生き直すということです。同じ過ちを犯さないようにするということです。そこには心からの決意が必要です。

 律法学者たちやファリサイ派の人たちは、イエスさまのところに姦通の現場で捕らえられた女性をつれてきます。イエスさまは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われました。すると「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去」りました。イエスさまは女性に、「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」と言われました。

 ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店)という本の中に「ラク町のお時」という話が出てきます。敗戦後に生活のために身を売るしかなかった女の人の話です。ラク町のお時はNHKの記者のインタヴィユーに答えました。「そりゃ、パン助は悪いわ、だけど戦災で身寄りもなく職もないワタシたちはどうして生きていけばいいの・・・・・好きでサ、こんな商売している人なんて何人もいないのヨ・・・・・それなのに、苦労してカタギになって職を見つけたって、世間の人は、アイツはパン助だって指さすじゃないの」。世間を責め立てたラク町のお時は、ラジオから聞こえてきた自分の声が、まるで悪魔のようであったことにショックを受けて、その道から足を洗うことにしました。だめな自分に気がつき、新しく出直すことの尊さということがあります。

 私たちの教会が属しています日本基督教団は、1967年3月26日に、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を出し、戦争中の歩みを悔い改め、新しく生き直す決意を言い表しました。

 戦後79年という月日がたち、戦争や平和をめぐる状況は、大きく変わりました。しかし変わらないこともあります。戦争によって多くの人々が悲惨な目にあい、悲しみが憎しみをつくり出し、憎しみが暴力を生み、暴力が新たな憎しみを生み出していくことです。

 79年前に敗戦を経験した私たちは、「もう罪を犯してはならない」というイエスさまの言葉をしっかりとこころにとどめたいと思います。神さまの平和がきますようにと、お祈りいたしましょう。


2024年8月17日土曜日

2024年8月11日

 2024年8月11日 聖霊降臨節第13主日礼拝説教要旨

「あなたがすべてをご存じです」 小笠原純牧師
 ヨハネによる福音書 21:15-19節

 わたしが初めて教会で働き始めたのは、岡山教会でした。そこで牧師になる前の伝道師をしていました。伝道師の仕事で、いろいろな印刷物を作るということがありました。あるとき印刷物の間違いが多く、苦情が殺到した時がありました。つぎの週、わたしは間違いがないように念入りに、週報をつくりました。しかし印刷してみると、間違いがあります。200枚の週報をすり直しました。悪いとは思いつつ、証拠隠滅をはかり、間違った週報は家に持って帰り、メモ用紙に使っていました。メモ用紙を使うたびに、毎回反省するわけです。「わたしが悪かった。わたしが悪かった」。「人は知らないけど、この紙は知っている」。「人は知らないけど、神は知っている」。「人は知らないけど、神さまはご存じだ」。
 こんなわたしが牧師をしていられるのも、キリスト教が失敗者の宗教だからです。キリスト教の大きな特色は、それは失敗者がイエス・キリストを宣べ伝えたということでした。イエスさまの弟子たちはみな、イエスさまを裏切りました。なかでも使徒ペトロはそうでした。しかしそのペトロが初期のキリスト教で、大切な働きをしました。ペトロは、初期の教会のかしらとして用いられたのです。
 イエスさまは三度、ペトロに「わたしを愛しているか」と尋ねます。ペトロはこころを痛めます。それはイエスさまが十字架につけられるときに、ペトロが三度、イエスさまのことを知らないと言ったからでした。イエスさまから三度「わたしを愛しているか」と問われることは、ペトロにとってとても苦しく、悲しいことだと思います。
 イエスさまはペトロに、「わたしの羊を飼いなさい」と命じられ、大切な役割をペトロに託されました。イエスさまによって許され、そして同時に大きな役割を命じられたことによって、ペトロは新しく生きる決心ができたと思います。それは自分の力を信じて生きていくのではなく、神さまに委ねて生きていくと生き方です。それは「神さま、あなたは何もかもご存じです」という生き方です。自分の失敗を他人が知っており、蔑んでいるということが大切なのではないのです。神さまが知っておられ、神さまが許してくださるということが大切なのです。
 神さまは私たちを大きな愛で包み込んでくださり、私たちの嘆きや悲しみをいやしてくださるのです。すべてを知っていてくださる神さまの、大いなる赦しと、祝福の中に、私たちは生かされています。このことに希望を置いて歩んでいきましょう。

2024年8月9日金曜日

2024年8月4日

 2024年8月4日 聖霊降臨節第12主日礼拝説教要旨

「神さまの平和を求める」 小笠原純牧師

  ヨハネによる福音書 7:1-17節

 今日は私たちの属する日本基督教団が定めた「平和聖日」です。8月15日に、79回目の敗戦記念日を迎えます。アジア・太平洋戦争において、私たちの国はアジアの諸国に対して侵略戦争を行ないました。日本基督教団は、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」という信仰告白を行なっています。

 ユダヤ人はイエスさまを殺そうとねらっています。人々もイエスさまについて公然と語ることはできません。自由にものを言うことができない雰囲気が社会に漂っているわけです。そうした雰囲気のあるなかで、声をあげて自由に話をするということは、とてもむつかしいことであると同時に、とても大切なことです。

 戦争へ向かっていく途中、「戦争反対」の声をあげることができるときがあったわけですが、しかしだんだんとそういた声をあげることはむつかしくなっていくわけです。それはどこの国でもそうでしょう。いざ戦争状態になってしまうと、「戦争反対」と声をあげることはとてもむつかしいことになるわけです。

 京都の進々堂というパン屋の続木満那は、戦争中、スパイ容疑をかけられた人を殺せと言う命令を受けますが、裁判もなにもないままスパイだと決めつけられている人間を自分は殺すことはできないと、その命令に従いませんでした。続木満那は自由学園の男子部一回生として創立者の羽仁もと子・羽仁吉一夫妻に薫陶を受けたクリスチャンです。続木満那は1952年、食パンをスライスした状態で包装して販売し始めました。商品名は「デーリーブレッド」です。主の祈りの「日毎の糧を今日も与えたまえ」から取られています。その名に「私どもの造るパンが神に祝福され、人類の健康と幸福に役立ちますように」との祈りを込めたとのことです。(『パン造りを通じて神と人とに奉仕する 進々堂百年史』、「二等兵物語」P110-111)(『島森路子インタビュー集2 ことばに出会う』、天野祐吉作業室、P.61-62)(続木創「パン造りと真摯に向き合う」、信徒の友2020年9月号、P.26)

 私たちは主の祈りで「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈ります。そして私たちは主の祈りで「御国を来させたまえ」と祈ります。「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈ります。

 神さまの国がきますように。神さまが求めておられる平和な社会に、私たちの社会がなりますように。そうした祈りを大切にして、神さまの御心に従って歩んでいきたいと思います。


2024年8月2日金曜日

2024年7月28日

 2024年7月28日 聖霊降臨節第11主日礼拝説教要旨

「イエスさまのツイッター禁止令」 小笠原純牧師

  ヨハネによる福音書 6:41-59節

 ソーシャル・ネットワーキング・サービスの一つに、Twitterがあります。Twitterは「さえずる」とか「つぶやく」という意味の言葉です。Twitter上で激しいやり取りがなされたりして、読んでいて「ちょっとどうなんだろうねえ」という気持ちになる時もあります。今日の説教題は「イエスさまのTwitter禁止令」にしました。今日の聖書の箇所に「つぶやき合うのはやめなさい」とあるからです。

 ユダヤ人たちは、イエスさまのことを理解することができませんでした。そして「イエスのことでつぶやき始め」ます。イエスさまは「つぶやき合うのはやめなさい」と言われます。しかしユダヤ人たちは「互いに激しく議論し始め」ます。この様子はまさに、Twitterの世界だなあと思わされます。インターネットのなかのTwitterという小さな世界のなかに閉じこもり、激しく議論をすると、だんだんと暴力的になっていきます。小さな世界のなかで議論をしているにも関わらず、そのことに気がつかず、自分が世界の中心にいるかのように錯覚してしまうのです。

 ユダヤ人たちも自分たちの世界のなかで、激しい議論をしていくうちに、自分たちのメンツや名誉というようなことが大切なものになってしまい、神さまのことが忘れ去られていくのです。神さまのことについて議論をしていながら、神さまのことは忘れ去られていくのです。神さまの律法でもって人を支配し、神さまの言葉でもって人を傷つけていくのです。そうした暴力的な激しい議論をしているユダヤ人たちに対して、「つぶやき合うのはやめさない」と、イエスさまは言われたのです。

 議論好きなユダヤ人たちに対して、議論ばかりして、自分の正しさばかりを主張するのではなく、もっと大切なことにこころを向けなさいと、イエスさまは言われました。イエスさまは「わたしは命のパンである」と言われました。私たちが神さまの憐れみによって、永遠の命に連なる者であるということが大切なのだ。そうした神さまの愛のなかに、私たちが生かされているということが大切なのだ。

 神さまの愛の中に生きている。神さまが私たちを愛して、愛して、愛してくださっている。だから私たちは愛された者として、神さまの御心を受けとめて、感謝をもって、隣人と共に生きていく。そのことが大切なのだと、イエスさまは言われました。

 神さまが私たちを愛してくださっています。安心して、神さまの御心に従って歩んでいきましょう。