2025年2月22日土曜日

2025年2月16日

 2025年2月16日 降誕節第8主日礼拝説教要旨

「ここにいますよ〜イエスの神殿」 俣田浩一牧師

  ヨハネによる福音書 2:13-22節

 イエスは神殿から商人達を追い出します。でも境内で売り買いされていた牛や羊や鳩は捧げもの用でした。遠くから来る巡礼者達は、牛や羊を連れて旅する分けには行きません。身軽に旅をして、捧げ物は神殿で買うのです。また神殿では献金用のユダヤの伝統的な貨幣に交換する必要がありました。そのために両替人が境内にいたのでした。ですからこれらの商売は必要でした。イエスはそれを破壊したのでした。「このような物はここから運び出せ。私の父の家を商売の家としてはならない。」ユダヤ人達はすぐに反応します。「あなたはこんなことをするからには、どんなしるしを私達に見せるつもりか。」それに対してイエスは「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言います。しかし建てるのに四十六年もかかった神殿を、あなたは三日で建て直すのかと、ユダヤ人達はまた不審に思います。しかしイエスが言う神殿とは御自分の体のことでした。つまり死と復活のことでした。するとなぜイエスはそれを言うために神殿にいる商人達を追い出したのでしょうか。

 過越祭の「過越」はギリシア語で「パスカ」、これはあるものから別のものへと変わるという意味の言葉です。別のものに変わるということは交換が可能ということです。それはお金とも交換可能です。つまり商売です。物はお金と交換されます。価値の交換である商売を神殿でしていた。イエスはどうもそれが気に入らなかったようです。価値の交換をしてはならない、商売をしてはならない。それはなぜか。イエスにとって、神殿、父の家とは交換出来ないものを扱うところだったからです。交換できないもの、それは神から与えられたいのちです。十字架の死からの三日後の復活に顕される、神から与えられた永遠のいのち。「建て直す」という言葉は「よみがえる、復活する」と同じ言葉です。死と復活に示される私達を創られた神との根源的な関係は、何を持ってしても交換できない、かけがえのない関係なのだと。そのことを扱う場所が神殿だと。イエスはそれを言おうとした。そしてそれを行動で現したのではないかと思います。結果的にはこの行為がイエスを十字架の死へと招きました。神から与えられたいのちは何を持ってしても代えられないもので、死に勝利する復活の永遠のいのちだと、イエスは自らの命を持ってそのことを伝えたのでした。


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