2025年5月2日金曜日

2025年4月27日

 2025年4月27日 復活節第2主日礼拝説教要旨

「すこやかな歩みを大切に」 小笠原純牧師

  マタイによる福音書 28:11-15節

 社会から倫理というものが失われてくると、「まあ少々嘘をついてもまあええか」という人が出てくるようになります。現代は嘘活用社会です。嘘を活用して、うまくこの世を乗り切ろう。嘘を証明するのには、証明するのに時間がかかる。嘘をついて、その場をごまかし、ことを有利に運んでいけば、成功すること間違いなし。嘘かどうかというようなことは大したことではない。という「嘘活用社会」です。とても困ったことだと思います。

 マタイによる福音書には、イエスさまの復活について、ユダヤの指導者たちが、イエスさまの遺体を弟子たちが盗み出したというように嘘をつくように、兵士たちにもちかけたという話が出てきます。

 気軽に嘘が広がっていく社会は、その社会に住んでいる人々にとって、あまり良い社会にはなりえません。嘘は簡単につくことができます。しかしその嘘が嘘であることを証明するためには、いろいろな労力が必要になります。どんどん嘘をついていけば、嘘を嘘であると証明する労力はもっともっと大変になってきます。そういう意味では嘘には勝てないのです。しかし嘘がなければ、その嘘を証明する必要はないわけですから、ほかのもっと良いことのためにその労力をつかうことができるので、社会にとっては良いことです。嘘は社会を疲弊させ、社会を貧しくさせていきます。

 エフェソの信徒への手紙には、「クリスチャンはこんな感じで生きたいよね」ということが書かれた聖書の箇所(エフェソの信徒への手紙4章25−32節)があります。「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。・・・互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」。江戸の狂歌、「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」のように、あまり倫理ばかりが強調されるのもしんどいと思います。しかし。なるべく、嘘はつかず、互いに親切にして、憐れみの心を大切にして、互いに赦しあいながら生きていく。そうした健やかな歩みでありたいと思います。

 私たちは一人一人、神さまから愛されている大切な人間です。私たちの罪のために、イエス・キリストは十字架についてくださり、私たちの罪をあがなってくださいました。そして復活されて私たちの希望となってくださいました。神さまは私たちをとても大切な人として愛してくださっています。神さまに愛されていることを受けとめて、すこやかな歩みでありたいと思います。


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