2025年5月11日 復活節第4主日礼拝説教要旨
「母の願いをこえて」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 20:20-28節
今日は母の日なので、わたしの母の思い出の出来事をお話いたします。それは「石油ストーブ丸焼け事件」という出来事です。わたしがストーブを消火することなく、灯油を入れていて、満杯になり灯油が飛び散って、ストーブが燃え始めるということがありました。母はそのときふとんをもってきてストーブを包み、そしてストーブを庭に出しました。そして事無きを得たということがありました。わたしの母は力持ちというような人でもありませんでした。しかしこのときの母は力強かったなあと思います。そしてこども心に、母がいてくれて心強いなあと思いました。
聖書にもある母親の物語が記されてあります。ヤコブとヨハネのお母さんの話です。ヤコブとヨハネのお母さんはヤコブとヨハネと一緒に、イエスさまに息子たちの出世を願いに行きます。身勝手なお願いをヤコブとヨハネのお母さんは、イエスさまにしたわけですが、このお母さんの気持ちもわかるような気がします。親というのはこうした愚かさをもっているのです。「自分の子がかわいい。そのためには少々勝手なことをしてでも・・・」という気持ちがあるのです。
しかしこどもはそうした親の思いとは違った生き方をし始めます。ヤコブやヨハネは、イエスさまのところにお母さんと一緒にいって、お母さんに「この二人を大臣にしてください」とお願いしてもらうような人間でした。しかしイエスさまが十字架につけられ、三日目によみがえられたあと、よみがえられたイエスさまに出会い、イエスさまを宣べ伝える生き方をし始めます。人々の上にたつのではなく、人々に仕える生き方をし始めました。この生き方はたぶんヤコブやヨハネのお母さんが望んだ生き方ではなかったでしょう。「そんなことやめてくれたら・・・」とお母さんは思ったでしょう。しかしお母さんはまた自分のこどもたちを誇らしく思ったことでしょう。そしてこどもたちのために、神さまにお祈りしただろうと思います。「わたしの願いとは違ったけれども、この子たちが、自分の思いどおり、人々に仕え、神さまに仕えて生きていけますように」。私たちは人間ですから、身勝手な思いで、人間的な思いをもつときがありますしかし神さまはヤコブやヨハネのお母さんの思いを越えて、人として確かな道へと、ヤコブやヨハネを導いてくださいました。
神さまは心のなかに邪な思いをもつ私たちを、それでも愛してくださり、私たちの歩む道を整えてくださいます。神さまの愛の中を安心して歩んでいきたいと思います。
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