2026年10月11日 聖霊降臨節第21主日礼拝説教要旨
「永遠の命を得る」 韮塚俊太神学生
民数記21:4〜9, ヨハネ福音書3:13〜15 0節
本日お読みした旧約聖書は「民数記」です。ヘブライ語では「ベミドバル」と呼ばれ、「荒れ野にて」という意味があります。民数記には、エジプトを脱出したイスラエルの民が、約束の地カナンへ向かう荒れ野の旅が記されています。
イスラエルの民は荒れ野の厳しい環境の中で飢えや渇きを覚えましたが、神はマナを降らせ、岩から水を与えるなどして、民を養い、導き続けました。しかし、民は神から与えられたマナを「粗末な食物」と呼び、不平不満を口にしました。これに怒った神は炎の蛇を民に送り、多くの人々が蛇にかまれました。民は自らの罪を認め、神に助けを求めます。すると神はモーセに青銅の蛇を造らせ、旗竿の上に掲げるよう命じました。蛇にかまれた者も、青銅の蛇を見上げることで命を得ることができました。神は民を見捨てず、死から救う道を備えられたのです。
青銅の蛇は、ヨハネに福音書3章でも言及されます。イエスはニコデモとの対話の中で、「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない」と語りました。ここで「人の子」とはイエス・キリストを指し、青銅の蛇が掲げられたことは、イエスが十字架に上げられることと重なります。イエスは天からこの世に来られ、人々と分け隔てなく関わり、弱い立場の人々を助け、病に苦しむ人々を癒されました。しかし、無実でありながら捕らえられ、十字架にかけられて死なれました。それは、私たちの罪を身代わりに負い、私たちを救うためでした。私たちには罪があり、的外れな生き方をしてしまう存在です。そのような私たちを救うために、神はイエスを地上に遣わされたのです。青銅の蛇を見上げた人々が命を得たように、イエスを信じる者は永遠の命を得ます。
さらに、イエスは死んで終わったのではありません。三日後に復活し、弟子たちの前に現れ、死を打ち破られました。ここに私たちの大きな希望があります。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛されました。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世を救うためでした。イスラエルの民を荒れ野の旅で見捨てなかった神は、私たちをも決して見捨てません。神はイエス・キリストを通して、すべての人に救いの道を備えてくださっています。救い主イエスを見上げながら、喜びと平安を胸に日々歩んでいきたいと願います。