2021年6月27日 聖霊降臨節第6主日礼拝説教要旨
「人間の救い」 山下毅牧師
マルコによる福音書 15:33-41節
ユルゲン・モルトマンというドイツの高名な神学者がいます。第二次大戦にヒットラー・ユンゲントとして参戦しました。大変な苦難に会い、イギリスの捕虜収容所で聖書に出会います。「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」との受難のイエスの言葉が、自分に語られたものだと、確信し、共に苦難を歩まれるイエスに出会います。救いを確信するのです。これは詩編22編の引用と言われていますが、神から捨てられた、罪深い人間の叫びを、イエスが代わって私たちの十字架を負い、絶望と見える棄てられた状況のどん底において、なおも固く神の御手に支えられていることを信じうる最後の依り頼みであり、イエスのこの叫びにおいて、人間の救いの道が開かれたのです。
私どもはどんなに絶望しても、イエスほど絶望することはないのです。私どもの心は罪のために鈍くなっていますから、私どもは神に棄てられてしまうことがどんなに恐ろしいことか、分からないのです。私どもは絶望しても、主イエスのように絶望することはもうないのです。そしてわたしほどもう苦しまなくてもいいのだと言ってくださいます。まさにそのような意味において、心に深く刻み、愛唱すべき言葉「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」が与えられていることを感謝するのであります。
モルトマンは語ります。「わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と言う問いに対しては、本当にただ一つの回答は、復活だと述べます。「死は勝利に飲み込まれたのです」。自分から苦しんだことのある者のみ、苦しんでいる人を助けることができるのです。このことは、古くからある知恵です。
情熱を持って愛して下さるキリスト、迫害されたキリスト、孤独なキリスト、神の沈黙に悩むキリスト、死に際し全く私たちのために、私たちのゆえに全く見捨てられたキリストこそ、すべてをゆだねることのできる兄弟・友人のようなお方です。キリストの十字架にあって、希望が暗闇から再び生まれてきます。人々がそのことを心に刻んだものは、もはや暗闇を恐れません。その希望は固くゆるがないものとされ、復活されたキリストが共にこの世の旅路を歩んで下さいます。主を喜びつつ、感謝しつつ、祈りつつ、この世の旅路を歩みたいと思います。
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