2021年7月11日 聖霊降臨節第8主日礼拝説教要旨
「神の御心を行う者になる」 小笠原純牧師
マタイによる福音書 7:15ー29節
ルーサー・バーバンクは『種の起源』で有名なイギリスの生物学者ダーヴィンが書いた『人間のそだてている動植物の変化』という本に感銘を受け、ジャガイモを種から育てて、たくさん収穫ができて、料理しやすく、保存もきく新しいジャガイモをつくりだそうとします。そうしてできたのが、「バーバンク・ジャガイモ」です。このジャガイモは、アメリカで爆発的に広まりました。のちに、このバーバンク・ジャガイモはアイルランドで起こった飢饉のときに、飢饉から人々を救うことになりました。(板倉聖宣著、楠原義一画『ジャガイモの花と実』、福音館書店)。
ルーサー・バーバンクの話を読みながら、「わたしは努力や工夫や向上心が足りんなあ」と思わされました。わたしはすぐにあきらめてしまって、能力のなさや才能のなさを神さまに嘆くわけです。「主よ、主よ」と言いながら、じつは神さまを頼っているようで、ただ自分が努力をしていないだけではないかと思わされました。
イエスさまはなかなかきびしいことを言われます。イエスさまは「良い実を結ぶ」ことにこだわっておられます。「わたしの天の父の御心を行う者だけが天の国に入る」と言われます。いくら敬虔なふりをして、「主よ、主よ」と言っていてもだめだ。たとえ、御名によって奇跡を行っていたとしても、それが人から誉められるためであったり、人からすばらしい人だと認められるためにやっているのであれば、それはだめだと、イエスさまは言われました。
使徒パウロは、「キリスト者というのはあきらめない人のことだ」と、コリントの信徒への手紙(二)4章8−10節でこう言っています「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために」。使徒パウロは、イエスの死を体にまとい、イエスさまの御言葉を土台として、その生涯を歩みました。
あきらめたり、嘆いたり、弱さを抱える私たちです。しかし私たちはイエスさまの御言葉という確かな土台に立っています。そのことを覚えて、神の御心を行う者になりたいと思います。私たちのできる業は小さな業でしかないかも知れません。しかしそれでも、一つずつでも小さなことでも、神の御心を行う者でありたいと思います。
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